九州攻めの汚名を小田原攻めですすいだ
仙石秀久せんごく ひでひさ
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誕生 1552年2月20日(天文21年1月26日)
生誕地 美濃国
仙石久盛
 
幼名  
権兵衛、仙石秀康など
官名 従五位越前守など
近親など 子:仙石秀範、仙石忠政など
関連人物 主君:斎藤龍興豊臣秀吉徳川家康徳川秀忠
ゆかりの地  淡路国 洲本城
 讃岐国 引田城
 信濃国 小諸城
略歴 ●美濃
1552年 (1歳)
美濃国の仙石久盛の四男として生まれる。

●家督相続
その後越前国の萩原国満の養子に。

その後兄達の死没により実家に戻り家督を継ぎ、美濃国の斎藤家に仕える。

1567年 (16歳)
主君斎藤龍興が、織田信長に攻められ逃亡。

●秀吉への随身
その後、信長の家臣、木下藤吉郎(豊臣秀吉)に仕える。

1570年 (19歳)
姉川の戦で功を立てる。

●近江
1574年 (23歳)
近江国野洲に1千石を拝領。

1577年 (26歳)
羽柴(豊臣)秀吉)の中国攻めに従軍。

1581年 (30歳)
黒田官兵衛とともに淡路国を攻略。

1582年 (31歳)
本能寺の変

山崎の戦の際は淡路国にあって、明智光秀に味方する豪族を攻め淡路国の平定に成功。

1583年 (32歳)
賤ヶ岳の戦の際は、柴田勝家に味方した四国の長宗我部元親と対陣。

引田の戦で香川之景に勝利するが、長宗我部元親の援軍が到着したことから大敗。

●淡路
しかし秀吉の賤ヶ岳の戦での勝利から、淡路国一国5万石を拝領し、洲本城主に。

●讃岐
1585年 (34歳)
四国攻めで貢献し、讃岐国高松10万石へ転封となり引田城主に。

1587年 (36歳)
九州攻めでは、十河存保長宗我部元親ら先鋒の軍監として先行する。

●戸次川の戦
戸次川の戦では、長宗我部元親と戦術について対立、結果的には無謀な策が仇となり大敗、長宗我部信親や十河存保を戦死させてしまう。

●追放
その後小倉城に敗退、さらには讃岐国へ逃げ帰ったことが秀吉の逆鱗に触れ、所領を没収の上、高野山へ追放される。

1590年 (39歳)
小田原城攻めの際、徳川家康の陣を借り参陣。
伊豆国山中城攻めや、本城の小田原城攻めでも貢献。

●返り咲き大名
これにより戦後は信濃国小諸5万石と小諸城を拝領し、大名に返り咲く。

1592年 (41歳)
文禄の役の際は、肥前国名護屋城築城に貢献。

●家康に接近
1598年 (47歳)
秀吉死没後は、徳川家康に接近。

1600年 (49歳)
関ヶ原の戦の際も徳川方につき徳川秀忠に従軍、上田城攻めを行う。

戦後、徳川秀忠の遅参を徳川家康にとりなしたことから、秀忠が将軍になると特に重用されるようになる。

その後は小諸の城下町の整備などに貢献。

1614年 (63歳)
江戸から小諸への帰国途上、武蔵国鴻巣で死没。
死没 1614年6月13日(慶長19年5月6日) (享年63歳)
レクイエム 戸次川の戦では、味方を省みず逃亡したことから三国一の臆病者というレッテルを貼られたが、小田原攻めでは陣羽織にたくさんの鈴を付けわざと目立つ格好で戦い「鈴なり武者」と言われるなど、汚名を見事にすすいだ。