光秀の愛宕百韻で知られる連歌師
里村紹巴さとむら じょうは
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誕生 1525年(大永5年)
生誕地 大和国奈良
 
 
松井(姓)、臨江斎、宝珠庵
官名  
近親など 子:里村玄仍、里村玄仲など
娘婿:里村昌叱
ゆかりの地  大和国 興福寺
 丹波国 愛宕神社威徳院
 近江国 園城寺
略歴 ●奈良
1525年 (1歳)
大和国奈良に生まれる。(松井氏)

幼くして、奈良興福寺明応院の喝食に。

●周桂に師事
その後、連歌師、周桂に師事し京都へ。

1544年 (20歳)
周桂が死没。

●里村昌休に師事
その後、連歌師、里村昌休に師事し、里村姓を名乗る。

1552年 (28歳)
里村昌休が死没し、里村家を相続。

これにより連歌の第一人者に。

1563年 (39歳)
公家の三条西公条から、源氏物語の講釈を受ける。

1565年 (41歳)
永禄の変

●紹巴抄
紹巴抄(源氏物語の解釈書)を著す。

1568年 (44歳)
織田信長が上洛、足利義昭を15代室町将軍につける。
信長の上洛戦

●愛宕百韻
1582年 (58歳)
明智光秀丹波国愛宕神社で開いた連歌会、愛宕百韻に参加。

本能寺の変

山崎の戦

本能寺の変について羽柴(豊臣)秀吉に疑われるが、釈明し許される。

●連歌至宝抄
1586年 (62歳)
連歌至宝抄(連歌論)を著し、豊臣秀吉に献上。

●蟄居
1595年 (71歳)
秀次事件に連座し、近江国園城寺(三井寺)に蟄居。

1602年 (78歳)
死没。
死没 1602年6月2日(慶長7年4月14日) (享年78歳)
レクイエム 三条西公条、織田信長明智光秀豊臣秀吉三好長慶細川幽斎島津義久最上義光ら多くの公家や武将と交流を持った。

愛宕百韻では、明智光秀の発句「ときは今 天が下しる 五月哉」、西之坊威徳院の住職、行祐の脇句「水上まさる 庭の夏山」に続く三句として「花落つる 池の流れを せきとめて」と詠んだ。

光秀の発句は、「五月に土岐氏(光秀の姓)が(信長を倒して)天下を取る」との意があったと言われる。

紹巴の三句については、「長く続いてきた禁裏中心の制度(世の中の流れ)を、信長がせき止めてしまったものだ」と嘆き、光秀に賛同したという説や、「信長が創り出した新しい世の中(の流れ)を、是非せき止めてください」の深意があったとの説がある。

いずれの説にしろ、紹巴はこの時点で光秀の信長討ちに気づいた、もしくは知っていたことになるが、真相は如何に・・・