父と弟に決別し家康に従った長男
真田信之さなだ のぶゆき
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誕生 1566年(永禄9年)
生誕地  
真田昌幸
寒松院(山手殿)(菊亭晴季の娘、または宇多頼忠の娘)
幼名  
源三郎、真田信幸(初名)
官名 従五位下伊豆守
近親など 祖父:真田幸隆
弟:真田幸村など
正室:小松姫本多忠勝の娘)
子:真田信吉、真田信政など
ゆかりの地  信濃国 上田城
 上野国 沼田城
 信濃国 松代城(海津城)
略歴 ●真田家の長男
1566年 (1歳)
武田晴信(信玄)の家臣、武藤昌幸(真田昌幸)の長男として生まれ、甲斐国古府中で過ごす。

●上田
1575年 (10歳)
長篠の戦武田勝頼勢が織田・徳川軍に大敗した際、叔父2人が戦死したことから、父昌幸が家督を継ぎ、それにともない信濃国上田に移る。

1582年 (17歳)
武田勝頼が織田・徳川軍に追われ自害し、武田家が滅亡(天目山の戦)したことから織田信長に降り本領を安堵される。

本能寺の変で信長が死ぬと、織田家家臣で関東管領の滝川一益北条氏直らに攻められ敗戦し(神流川の戦)、地元伊勢国に引き上げたことから、後ろ盾を失ない北条氏直に下る。

1585年 (20歳)
上田城の開城を拒否したことから、徳川家康の武将鳥居元忠の7千に上田城を攻められるが(第一次上田城の戦)、真田家はわずか2千の守兵で防戦し大勝。

●豊臣家
主家を豊臣家に替える。

1589年 (24歳)
羽柴(豊臣)秀吉の命で、徳川家康の与力となる。

徳川家康に才を認められ、家康の養女(本多忠勝の娘、小松姫)と結婚。

1590年 (25歳)
秀吉の小田原城攻めに従軍.。

●分家
戦後分家され、上野国沼田城主に。

●上田城攻め
1600年 (35歳)
徳川家康の会津征伐軍に加わったが、石田三成挙兵の報せに父、昌幸、弟、幸村と袂を分かち、東軍につくことを決意。(犬伏の別れ)

関ヶ原の戦の直前、徳川秀忠に従い中山道を進み、父と弟のの籠る上田城攻撃(第二次上田城の戦)に参加するが落とせず。

戦後は、徳川家康から父と弟を討ち取ってくれば百万石を与えるという朱印状を受けるが、その朱印状と引き換えにふたりの助命を請い、高野山への謹慎だけで許される。

父の旧領上田9万5千石を拝領。

●改名
その後、徳川家に敵対した父真田昌幸の「幸」の字をはばかって、信幸から信之に改名。

1611年 (46歳)
父、真田昌幸が九頭山で死没。

1614年 (49歳)
大坂冬の陣には、病気のため参戦できず。

1615年 (50歳)
大坂夏の陣にも、病気のため参戦できず。
豊臣方についた、弟、真田幸村が討ち死に。

1620年 (52歳)
小松姫が病没。

●松代
1622年 (57歳)
信濃国松代藩10万石に転封。松代城(海津城)主に。

1658年 (93歳)
死没。
死没 1658年(万治元年)10月 (享年93歳)
レクイエム 深謀、沈着、冷静といった言葉がイメージされる武将。

幼名であるが、弟の幸村が源二郎で、信之は源三郎と名乗っていたのは何故だろうか?出生の秘密がありそうだが・・・