武田家家臣から次々と主家を替え最後は家康に歯向かった
真田昌幸さなだ まさゆき
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誕生 1547年(天文16年)
生誕地  
真田幸隆
 
幼名 源五郎
武藤喜兵衛、武藤昌幸、真田昌幸
官名 従五位下安房守
近親など 正妻:寒松院(山手殿)(菊亭晴季の娘、または宇多頼忠の娘)
兄:真田信綱真田昌輝
弟:真田信尹、金井高勝
子:真田信之真田幸村など
ゆかりの地  信濃国 岩尾城
 信濃国 真田本城
 上野国 岩櫃城
 上野国 名胡桃城
 上野国 沼田城
 信濃国 上田城
 紀伊国 九度山村
略歴 ●真田家
1547年 (1歳)
武田晴信(信玄)家臣、真田幸隆の三男として、岩尾城(異説あり)で生まれる。

●信玄の近習
1553年 (7歳)
武田晴信(信玄)の人質となり、近習として仕える。

●武藤家の養子
その後、武田晴信(信玄)の母方の縁戚にあたる武藤家に養子入りし、武藤喜兵衛と名乗る。

1561年 (15歳)
第四次川中島の戦で初陣。

1567年 (17歳)
父、真田幸隆が隠居し、兄、真田信綱が家督を相続。

1569年 (21歳)
小田原城攻め(武田信玄)三増峠の戦に従軍。

1572年 (24歳)
信玄の上洛戦に従軍。

三方ヶ原の戦に参陣。

●信玄の死
1573年 (25歳)
武田信玄病死。

その後は武田勝頼に従う。

1574年 (26歳)
父、真田幸隆が死没。

●真田氏相続
1575年 (27歳)
長篠の戦武田勝頼勢が織田・徳川軍に大敗し、二人の兄、真田信綱真田昌輝が戦死。
これにより真田家を継ぐ。(真田姓に復帰)

●北条との対立
1578年 (30歳)
上杉謙信の死により、甲越同盟が成立したことから、上野国の北条領に侵入

1579年 (31歳)
沼田城攻めのため、名胡桃城を築城。

1580年 (32歳)
沼田城を奪う。

1581年 (33歳)
新府城の普請奉行をつとめる。(異説有り)

沼田城主、沼田景義から攻められるが、家臣、金子泰清に攻め討たせる。

岩櫃城代、海野幸光を、謀反の疑いから誅殺。

1582年 (34歳)
武田勝頼が織田・徳川軍に追われ自害し(天目山の戦)、武田家が滅亡したことから織田信長に降り、本領を安堵され信長の重臣で関東管領の滝川一益の配下に。

●天正壬午の乱
本能寺の変で信長が死ぬと、佐久、小県の国人の総大将に推される。

滝川一益北条氏直らに攻められ敗北(神流川の戦)。

地元伊勢国への引き上げを決めた滝川一益を、諏訪まで送り届ける。

織田勢のいなくなった沼田城に、叔父矢沢頼綱を送り込んで奪回。

嫡男、真田信之岩櫃城に入れ守備を固める。

一時上杉景勝に降るが、碓氷峠を越えて進出してきた北条氏直に降る。

上杉景勝北条氏直が川中島で対峙するが、徳川家康甲斐国侵出情報を受けた北条氏直は撤退を決め、昌幸は松田憲秀とともに殿を命じられる。

新発田重家の反乱を受け、上杉景勝越後国へ撤退したことから沼田城へ戻る。

その後、甲斐国の黒駒の戦で徳川勢に敗北した北条氏直を見限り、徳川家康に寝返る。
これにより北条氏邦から沼田城を攻められるが守り抜く。(天正壬午の乱

1583年 (35年)
信濃国上田城を築き居城に。

●上杉の臣下
天正壬午の乱の北条家と徳川家の和睦条件「上野国は北条の切り取り次第」に不満を持ち、越後国上杉景勝を頼り配下となり、徳川家康に敵対する。

●上田城の戦
1585年 (37歳)
徳川家康の武将鳥居元忠の7千に上田城を攻められるが(第一次上田城の戦)、長男の真田信之とともにわずか2千の守兵で防戦し大勝。

●秀吉の臣下
羽柴(豊臣)秀吉に臣従。

1586年 (38歳)
信濃国の佐久へ侵攻。
これにより北条家から上野国沼田に侵入されるが、豊臣秀吉の介入で和睦し、徳川家康の与力に据えられる。

●伊那
1589年 (41歳)
豊臣秀吉の裁定により、上野国沼田が北条家に与えられ、信濃国伊那に代替地を与えられる。(名胡桃だけは真田家に残される)

1590年 (42歳)
名胡桃事件により豊臣秀吉小田原城攻めを決行、北条家が滅亡。

1598年 (50歳)
豊臣秀吉の死後、徳川家康に従う。

●上田城の戦(第二次)
1600年 (52歳)
徳川家康の会津征伐軍に加わったが、石田三成挙兵の報せに、二男の幸村とともに西軍につくことを決意。
この際、長男の真田信之は東軍につく。(犬伏の別れ)

関ヶ原の戦の直前、二男真田幸村とともに上田城に籠り、中山道を進んできた徳川秀忠軍を巧みにおびき寄せ、上田城攻撃(第二次上田城の戦)に耐え、結局秀忠軍を戦に参加させなかった。

●高野山
戦後は、長男真田信之の嘆願により、高野山への謹慎だけで免れる。(二男、真田幸村とともに)

●九度山
その後、紀伊国九度山へ移される。

1611年 (63歳)
幽閉先の紀伊国九度山村で死没。
死没 1611年(慶長16年)6月 (享年63歳)
レクイエム 武田、織田、北条、豊臣、徳川と主家を次々と替え、最後は関ヶ原の戦で西軍につくという目まぐるしい人生であった。