不手際の多かった、信長の傅役
佐久間信盛さくま のぶもり
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誕生 1527年(大永7年)
生誕地 尾張国 山崎
佐久間信晴 
  
幼名 牛助
官名 出羽介、右衛門尉
近親など 子:佐久間信栄など
甥:佐久間盛政など
ゆかりの地  尾張国 鳴海城
 紀伊国 高野山
略歴 1527年 (1歳)
尾張国山崎に生まれる。

●信長の傅役
初め、織田信秀の家臣だったが、幼少の織田信長の傅役(もりやく)に。

1551年 (25歳)
信秀死後の家督争いでも、信長を支持。

1560年 (34歳)
桶狭間の戦の際、善照寺砦の守備で貢献。

戦後、鳴海城主に。

1568年 (42歳)
信長の上洛戦に従軍し、近江国六角(義賢)承禎攻め(箕作城の戦)に先鋒として活躍。

1570年 (44歳)
浅井・朝倉攻め(姉川の戦)にも参加し、信長本陣の守備で活躍。

1571年 (45歳)
第一次伊勢長島攻めで苦戦。

●援軍失敗
1572年 (46歳)
信長から離反した松永久秀が交野城攻めを開始すると、その平定に向かい勝利。(交野城後ろ巻き)

武田信玄の上洛を阻止するための三方ヶ原の戦では、徳川家康の援軍として派遣されたが、敗戦。同僚の平手汎秀を戦死させてしまう。

1573年 (47歳)
第二次伊勢長島攻めに参陣。

1574年 (48歳)
第三次伊勢長島攻めに参陣。

1575年 (49歳)
信長に下った松永久秀を配下に。

●本願寺に苦戦
1576年 (50歳)
信長の本願寺攻め(石山合戦)の指揮官になるが、苦戦を続ける。

第一次木津川の戦では毛利水軍に敗北。

1577年 (51歳)
信貴山城の戦に参陣。

1580年 (54歳)
本願寺を攻めきれないことから、信長は朝廷の斡旋を受け本願寺と和解。

●追放
信盛は信長から、過去からの不手際を連ねた19ケ条の譴責状を突きつけられ、嫡男の信栄とともに高野山に追放となる。

1582年 (56歳)
紀伊国で死没。
死没 1582年2月18日(天正10年1月16日) (享年56歳)
レクイエム 織田家の司令官としては、他の羽柴(豊臣)秀吉柴田勝家明智光秀、荒木村重などに比べて結果が出せなかった。
にも関わらず、その間多くの茶会を開いていたことも事実。

また、傅役だったこともあり信長に反対意見を述べることも多かった。

信長にとってみれば、茶会開催や口先ばかりで結果の出せない奴、という不満が募った末の追放であったと思われる。