宇喜多騒動と千姫事件の主役
坂崎直盛さかざき なおもり
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誕生 1563年(永禄6年)(異説あり)
生誕地 備前国
宇喜多忠家
 
幼名  
宇喜多知家、直行、重長、信顕、正親、正勝、貞盛、成正、成政、坂崎直盛など
官名 従五位下、左京亮、出羽守、対馬守
近親など 伯父:宇喜多直家
従兄弟:宇喜多秀家
正妻:戸川秀安の娘
子:津川平四郎、坂崎重行(中村)など
ゆかりの地  備前国 富山城
 石見国 津和野城
略歴 ●宇喜多一族
1563年 (1歳)
備前国の戦国大名、宇喜多家の一族で富山城主、宇喜多忠家の子として生まれる。

その後、伯父の宇喜多直家に仕える。

1581年 (19歳)
宇喜多直家が死没し、その子で従弟の宇喜多秀家が幼くして宇喜田家当主となると、それに仕える。(2万4千石)

●家中での対立
その後、宇喜多家は知家(直盛)や戸川達安、花房正成、岡利季らの武断派(古くからの家臣たち)と、秀家が当主となってから台頭した長船綱直や前田家から豪姫付きの家老として宇喜多家に入ってきていた中村次郎兵衛(刑部)ら新参の家臣たちに分かれ対立。

●宇喜多騒動
1588年 (36歳)
豊臣秀吉が死没。

武断派が、秀吉から羽柴姓を受けていた宇喜多家の重臣、長船綱直や中村次郎兵衛らの討伐を計画。

1599年 (37歳)
長船綱直が病死。(武断派による毒殺説あり)

主君宇喜多秀家が、中村次郎兵衛が武断派に狙われているのを知り、次郎兵衛を加賀国の前田家の元へ逃亡させる。

それを知った知家(直盛)らは激怒し、 主君宇喜多秀家と対立、大坂の宇喜多屋敷に立てこもる騒動に発展。

1600年 (38歳)
筆頭家老、徳川家康の裁量により騒動が平定され、知家(直盛)は増田長盛預かりに。その際、後日必ず取り立てるとの言葉を家康から受ける。(宇喜多騒動

●関ヶ原
関ヶ原の戦では、徳川家康の東軍につき勝利。

戦後、石見国浜田を拝領し大名に復帰。(2万石)
その際、宇喜多姓から坂崎姓に改名、坂崎直盛と名乗る。

1604年 (42歳)
石見国津和野を拝領し津和野城主に。(3万石)

●千姫事件
1615年 (53歳)
大坂夏の陣では、大坂城から千姫を救出。

1616年 (54歳)
将軍徳川秀忠から、千姫の再嫁先の斡旋を依頼され、公家との縁談を進めたものの、千姫は徳川四天王家の本多忠刻(本多忠勝の孫)との再婚を望んだため、面目を失った直盛が兵を集め幕府へ反抗。

この騒動による改易を恐れた家臣が、主君の直盛を暗殺。
(幕府の重臣、柳生宗矩の説得により自害したとの説もあり)

その後、坂崎家は改易に。
レクイエム 主君のいる大坂屋敷で挙兵したり、千姫事件を起こしたりと、かなり直情的な人物であった。
死没 1616年10月21日(元和2年9月11日) (享年68歳)