秀吉を名指しで罵倒した家康の陪臣
榊原康政さかきばら やすまさ
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誕生 1548年(天文10年)
生誕地 三河国 上野
榊原長政
 
幼名 小平太
元服名 榊原康政
 
官名 従五位下式部太夫
近親など 正妻:大須賀氏
子:榊原康勝など
ゆかりの地  上野国 館林城 
略歴 1548年 (1歳)
三河国松平家の家臣酒井家に仕える、榊原長政の二男として生まれる。

●家康の小姓
1560年 (13歳)
松平元康(徳川家康)の小姓となる。

●徳川四天王
1566年 (19歳)
家康から、旗本先手役に抜擢される。

その後次々に戦功をたてる。

1582年 (35歳)
本能寺の変織田信長が死んだ際、家康とともに堺に観光に来ていたが、伊賀越えでの帰国に随行

1584年 (37歳)
小牧・長久手の戦では、羽柴(豊臣)秀吉に対し、「主家織田家をのっとった」ことを非難する高札をあげ、秀吉からその首に懸賞金をかけられる。

酒井忠次と協力し、秀吉方の森長可に夜襲をかけ小牧山の占拠に成功。

また、三好(豊臣)秀次隊に大勝し、森長可池田恒興を討ち取る。

和睦後は秀吉に許される。

●館林城主
1590年 (43歳)
秀吉の関東の北条征伐後、家康が関八州へ移封された際、上野国館林城主となり10万石を拝領。

●秀忠付き
1592年 (45歳)
家康の後継者、徳川秀忠付きとなる。

1600年 (53歳)
関ヶ原の戦の前、徳川秀忠に従い中山道を進み、真田昌幸真田幸村父子の篭る上田城攻め(第二次上田城の戦)に参加。

戦後は、本多正信本多正純父子ら官吏派の台頭により、政治面で重用されなくなる。

1606年 (59歳)
上野国館林で死没
死没 1606年(慶長11年)5月 (享年59歳)
レクイエム 徳川四天王として活躍。

戦功を次々にたてたのは、確固たる軍法を作成し守ってきた結果であり、家康も秀忠に「軍法については康政によく聞くように」とアドバイスをしていた。