父道三を憎み続けた大男
斎藤義龍さいとう よしたつ
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誕生 1527年(大永7年)
生誕地 美濃国
斎藤道三土岐頼芸という説もあり)
深芳野
幼名 豊太丸
新九郎 利尚 高政 玄龍 飯賀
官名 美濃守、左京大夫、治部大輔など
近親など 正室:浅井久政の娘
子:斎藤龍興など
妹:濃姫(帰蝶)織田信長正室)など
ゆかりの地  美濃国 稲葉山城(後の岐阜城
略歴 1527年 (1歳)
美濃国守護、土岐頼芸の家臣、斎藤道三の子として生まれる。

1547年 (21歳)
父、斎藤道三美濃国国主に。

●家督相続
1548年 (22歳)
父、斎藤道三から家督を譲られ、美濃国の太守に。

●父への謀反
1555年 (29歳)
父、斎藤道三との折り合いが悪く廃嫡されそうになる。

父が偏愛する、弟の斎藤義重と斎藤龍定を殺害し、父道三に対する謀反をあらわに。

1556年 (30歳)
父、斎藤道三を長良川に攻め、自害させる。(長良川の戦

これにより、尾張国織田信長や北近江浅井長政と争うことに。

1561年 (35歳)
病没。
死没 1561年6月23日(永禄4年5月11日) (享年35歳)
レクイエム 父は、道三ではなく、元美濃国守護、土岐頼芸という説がある。
このことを知った義龍は、実父頼芸を殺害した道三を憎んだと言われている。

道三も、義龍を暗愚と決め付けて廃嫡しようとするが、長良川で攻められた際の義龍の采配をみて、暗愚ではないことに気づいて、安心して死んで行ったという。

6尺5寸の大男だったが、持病に苦しんでいた。