美濃のまむし道三の孫
斎藤龍興さいとう たつおき
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誕生 1548年(天文17年)
生誕地 美濃国
斎藤義龍
浅井久政の娘
幼名 喜太郎
 
官名 右兵衛大夫
近親など  
ゆかりの地  美濃国 稲葉山城(後の岐阜城
略歴 ●美濃
1548年 (1歳)
美濃国の太守、斎藤義龍の子として生まれる。

1561年 (14歳)
父、斎藤義龍の病死により、家督を相続。

森部の戦で尾張国織田信長に勝利するが、日比野清実、長井衛安らの重臣を失う。

●稲葉山城乗っ取り
1564年 (17歳)
竹中半兵衛の謀略で稲葉山城を一時のっとられ、悪政を諫められる。

●没落
1566年 (19歳)
安藤守就氏家ト全稲葉一鉄の美濃三人衆が織田信長に寝返るなど、家臣の離反が相次ぎ弱体化。

1567年 (20歳)
織田信長に攻められ開城、伊勢国へ逃亡。(稲葉山城攻め

1569年 (22歳)
三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)らとともに、本國寺の足利義昭を襲うが敗北。(本國寺の変

1573年 (26歳)
越前国朝倉義景を頼っていたが、織田信長に攻められ討ち死に。
これにより斎藤家は滅亡。
死没 1573年(天正元年)8月 (享年26歳)
レクイエム 竹中半兵衛が城をのっとった原因は、義興が若い頃から酒と女色におぼれ、安藤守就ら口うるさい重臣を遠ざけ、お気に入りの日根野備中守らを重用したことから、斎藤家の将来に幻滅したためである。

父親の斎藤義龍同様大男であった。