謀略を繰り返して成り上がった美濃の蝮
斎藤道三さいとう どうさん
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1494年(明応3年)
生誕地 山城国 西岡
松波基宗
 
幼名 峰丸
法蓮坊、松浪庄五郎、山崎庄五郎、西村官九郎正利、長井新九郎規秀、斎藤利政、斎藤道三 
官名 左近大夫
近親など 正室:奈良屋(油商人)の娘、小見の方(明智氏)
側室:深芳野(旧主、土岐頼芸の側室)など
子:斎藤義龍、斎藤義重、濃姫(帰蝶)織田信長正室)など
ゆかりの地  美濃国 稲葉山城(後の岐阜城
 美濃国 鷺山城
 美濃国 大桑城
略歴 1494年 (1歳)
北面の武士、松波基宗の子として生まれる。

●仏門
1504年 (11歳)
京都の妙覚寺に入門、法蓮坊と名乗る。

●油商人
その後妙覚寺を出て、猿楽師一行に身を寄せるが、やがて油商人となっていた父にならい油商人になる。

●武家
その後、行商先の美濃国稲葉山城主、長井長広の目にとまり、これに仕える。

その後長広から、家臣の西村三郎左衛門尉の跡継ぎに推薦され、西村官九郎正利と名乗る。

●クーデター
1527年 (34歳)
美濃国守護、土岐頼武の弟である土岐頼芸に進言してクーデターを起こさせ頼武を追放、頼芸を守護に担ぎ上げる。これにより土岐頼芸の家老となり実権を握る。

稲葉山城(後の岐阜城)に本拠を置く。

1528年 (35歳)
土岐頼芸の愛妾、深芳野をもらいうける。

1530年 (37歳)
自分を見出してくれた長井長広に疎まれるようになると、頼芸を抱き込んで長広を殺害し長井家を乗っ取り、長井新九郎規秀と名乗る。

1538年 (45歳)
美濃国の守護代斎藤利隆が死ぬと、斎藤家を相続し、斎藤利政と改名。

●美濃国盗り
1542年 (49歳)
今度は主家である土岐頼芸を攻め一時追放するが、その後和睦。
大桑城の戦(第一次)

1547年 (54歳)
大桑城の土岐頼芸を攻めて追放し、美濃国国主となる。

1548年 (55歳)
隣国尾張国織田信秀と争うが、不利になると娘の濃姫(帰蝶)を織田家の嫡子織田信長に嫁がせ和睦。

嫡子斎藤義龍に家督を譲り隠居、道三と名乗る。

鷺山城に移る。

1551年 (58歳)
大桑城に戻っていた土岐頼芸を再び攻め、近江国に追放。

●息子との対立
1556年 (63歳)
息子の斎藤義龍に攻められたため、廃城となっていた大桑城に入る。

婿である信長の救援を待たず自害。(長良川の戦
死没 1556年(弘治2年)5月 (享年63歳)
レクイエム 謀略を繰り返して自分の主人を次々に殺害、追放し、一介の油商人から美濃国一国の大名になった道三は、美濃の蝮と呼ばれた典型的な戦国大名である。

義龍は、自分が道三の実子ではなく、道三が追放した土岐頼芸とその側室だった深芳野との子だと信じ込み、父の仇として道三攻めを行った。
しかし、道三の実子であった可能性もある。

道三は、婿の信長に対しては好意を持っていた。
愛娘の帰蝶の夫ということもあったであろうが、信長が将来天下を狙うほどの器であることを見抜いていたためでもある。

死ぬ直前、息子の義龍から攻められて危機に陥ると、当然救援に向かって来るであろう信長を慮(おもんぱか)って、早々に自害して果てた。

油商人山崎庄五郎としての正妻と、西村官九郎そしての正妻とを持っていた。今でいう重婚である。
その他に主人の頼芸から貰い受けた深芳野という側室がいたわけである。

こういったあまりにも波乱に富んだ人生だったことから、実はふたりの人物の人生を合わせたものである、という説もある。

大桑城を攻めて旧主を追放した道三だったが、自分の最後の城も大桑城だったとは、皮肉である。