秀吉や家康に外交僧として重用された
西笑承兌さいしょう じょうたい
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画像  
誕生 1548年(天文17年)
生誕地  
 
 
幼名  
兌長老(通称)、月甫、南陽
官名  
近親など  
ゆかりの地  山城国 相国寺
略歴 1548年 (1歳)
誕生。(出自は不詳)

●出家
その後、幼くして出家し、中華承舜や仁如集堯の元で学ぶ。

(中略)

●相国寺
1584年 (37歳)
相国寺の住持となり、寺を再興。

1585年 (38歳)
相国寺鹿苑院の僧録(鹿苑僧録)となり、臨済宗の最高権威に。

●秀吉
織田信長に没収されていた鹿苑院が、羽柴(豊臣)秀吉によって返還される。

これにより、羽柴(豊臣)秀吉と懇意になり、主に外交に関しての顧問を務めるように。

羽柴(豊臣)秀吉が関白に。

1590年 (43歳)
豊臣秀吉小田原城攻めで北条家を滅ぼし、奥州仕置を行い全国を統一。

その後、秀吉の命を受け外国への外交文書を作成。

1592年 (45歳)
文禄の役の際も、豊臣秀吉に従い名護屋へ。

1596年 (49歳)
明の講和師の持参した文書(日本国王に柵封する旨)をそのまま訳して伝え、豊臣秀吉を激怒させる。
これにより秀吉は再度の朝鮮出兵を決意。

1598年 (51歳)
豊臣秀吉死没。相国寺内に秀吉のための豊光寺を建立。

●家康
その後は徳川家康に仕え、朝鮮との講和締結に尽力。

1600年 (53歳)
関ヶ原の戦の直前、以前より親交の深い直江兼続上杉景勝の家老)へ、家康に謝罪するよう勧めた文書を送る。

直江兼続からの返書(直江状)を受け取るが、これが家康を激怒させ、会津攻めのきっかけに。

1604年 (57歳)
海外貿易の朱印制度設置に参画。

1605年 (58歳)
伏見版周易(占筮を使用した占い)を出版。

1608年 (60歳)
死没。
レクイエム  
死没 1608年2月13日(慶長12年12月27日) (享年60歳)