東軍に寝返り人吉藩主となった
相良頼房さがら よりふさ
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誕生 1574年5月24日(天正2年5月4日)
生誕地 肥後国 
相良義陽
了信尼(豊永長英の娘)
幼名 長寿丸
相良四郎次郎頼房、相良長毎(ながつね)
官名 従五位下、宮内少輔、宮内大輔
近親など 正妻:秋月種実の娘
兄:相良忠房
弟:相良長誠
子:相良房寛など
ゆかりの地  肥後国 人吉城
略歴 ●肥後国人
1574年 (1歳)
肥後国の国人で人吉城主、相良義陽の二男として生まれる。

1575年 (2歳)
父、相良義陽が、近衛前久の斡旋を受け、敵対していた島津義弘と和睦。

●人質
1581年 (8歳)
父、相良義陽が島津家に臣従。これを受け島津家の人質となる。

父、相良義陽が阿蘇家との戦で戦死。
兄の相良忠房が家督を相続。

●家督
1585年 (12歳)
兄の相良忠房が死没。
これにより、家督を相続。

その後も島津家に従属し各地を転戦。

1586年 (13歳)
豊臣秀吉九州攻めが始まる。
家臣、深水長智が逸早く秀吉と交渉し降伏したことから、戦後、所領を安堵される。

●肥後国人一揆
1587年 (14歳)
佐々成政肥後国一国の領主に。

佐々成政への不満から、国人一揆が起こる。

1588年 (15歳)
一揆平定後、国主佐々成政豊臣秀吉から失政を攻められ切腹。

頼房も、佐々成政に依頼を受け、一揆討伐を秀吉から命じられた島津家、伊集院家に一時敵対していたことから叱責されるが、家臣、深水長智の陳謝により許される。

加藤清正肥後国半国(熊本)の領主に。

1592年 (19歳)
文禄の役(朝鮮出兵)では、加藤清正に従い朝鮮へ渡海。

1597年 (24歳)
慶長の役(第二次朝鮮出兵)でも、加藤清正に従い朝鮮へ渡海。

●関ヶ原
1600年 (27歳)
関ヶ原の戦では、当初西軍に味方し、伏見城攻めなどに参陣。
関ヶ原の戦で西軍が敗北すると、家老、犬童頼兄の進言を入れ東軍に寝返り、守っていた大垣城に東軍を引き入れる。

その功により戦後は所領を安堵され、初代、人吉藩主に。(2万2千石)

1615年 (42歳)
初代相良氏である先祖の名にちなみ、相良長毎と改名。

1619年 (46歳)
藩内の椎葉にて、郷士による強訴が起こるがこれを平定。

1636年 (63歳)
江戸藩邸にて死没。
レクイエム 1493年に制定された相良家法度は、相良家の発案ではなく、領主たちが起草したものとして有名。
死没 1636年7月15日(寛永13年6月13日) (享年63歳)