名族を継いだ伊達政宗の叔父
留守政景るす まさかげ
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誕生 1549年(天文18年)
生誕地 出羽国羽前 米沢
実父:伊達晴宗、養父:留守顕宗
久保姫(晴宗正室・岩城重隆の娘)
幼名  
元服名  
六郎、雪斎
官名 従五位下、上野介
近親など 正室:黒川晴氏の娘
兄:岩城親隆、伊達輝宗
弟:石川昭光、国分盛重、杉目直宗など
子:留守宗利
甥:伊達政宗
ゆかりの地  陸奥国陸前 岩切城
 陸奥国陸前 利府城
 陸奥国陸中 二桜城
 陸奥国陸中 一関城
略歴 ●伊達家
1549年 (1歳)
出羽国羽前米沢城主、伊達晴宗の三男として生まれる。

●養子
1567年 (19歳)
政略により、陸奥国陸前岩切城主、留守顕宗の養嗣子に。

1568年 (20歳)
黒川晴氏の娘と結婚。

●反乱
1569年 (21歳)
留守家の元家臣で村岡城主、村岡家が反乱を起こすが、これを平定。

村岡城を改修、利府城と改名し居城を移に。

その後も、余目家、佐藤家などが謀反を起こすが、これらを1574年までに追放。

●実兄、伊達輝宗への臣従
1574年 (26歳)
兄で米沢城主の伊達輝宗の臣下に。

1576年 (28歳)
伊達輝宗に従い、相馬家攻めに従軍。

その後も、本家に従い奥州での勢力拡大に尽力。

1584年 (36歳)
実家の伊達輝宗が隠居し、甥の伊達政宗が伊達氏当主に。

1585年 (37歳)
陸奥国岩代人取橋の戦で、佐竹、蘆名連合軍に勝利。

1588年 (40歳)
北方の大崎義隆攻めの大将として出陣するが、最上義光が大崎家の援軍に駆けつけたため苦戦するが、岳父黒川晴氏の取り成しにより退却。中新田の戦)

●奥州南部平定
1589年 (41歳)
主君、伊達政宗摺上原の戦蘆名義広を破り、奥州南部を制圧。

伊達政宗が周辺の諸族を支配下に置き、出羽国羽前南部、陸奥国岩代陸奥国陸前南部など合計114万石の太守に。

伊達政宗陸奥国岩代黒川城(会津若松城)に本城を移す。

1590年 (42歳)
小田原城攻めには参陣せず。そのため、戦後、領地を没収される。

●陸中
陸奥国陸中二桜城に移り住む。

1592年 (44歳)
文禄の役(朝鮮出兵)に従軍。

帰国後は、伊達家一門となる。

1600年 (52歳)
関ヶ原の戦の際、最上家の山形城を攻めた上杉家家老、直江兼続を攻めるために援軍として駆けつけ、退陣する直江勢に攻めかかり大勝を得る。
長谷堂城の戦

1601年 (53歳)
主君、伊達政宗減封され、仙台城(青葉城)に移り、初代仙台藩主に。(60万石)

1604年 (56歳)
陸奥国陸中一関城主に。(2万石)

1607年 (59歳)
死没。
死没 1607年2月28日(慶長12年2月3日) (享年59歳)
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