信長にいとも簡単に滅ぼされた
六角承禎ろっかく しょうてい
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誕生 1521年(大永1年)11月
生誕地  
六角定頼
 
幼名 四郎
六角義賢、佐々木義賢、六角承禎、佐々木承禎など
官名 従四位下弾正少弼、右衛門督、左京太夫
近親など 子:六角義治など
ゆかりの地  近江国 観音寺城
 近江国 箕作城
略歴 ●六角家
1521年 (1歳)
佐々木源氏で南近江の守護、六角定頼の子として生まれる。

●管領への随身
1550年 (30歳)
管領細川晴元に従い三好長慶らと戦う。

●家督相続
1552年 (32歳)
父、六角定頼の死により家督を相続、観音寺城主に。

1558年 (38歳)
三好長慶に追われた13代将軍足利義輝を助け、再び和睦の斡旋に成功。

●浅井氏の向背
1560年 (40歳)
野良田の戦浅井長政に敗北、独立を許す。

子の六角義治に家督を譲り隠居。承禎と号す。

1562年 (42歳)
三好長慶細川晴元を幽閉したことに激怒、畿内へ出陣。

神楽岡で松永久秀に敗北するが、連合した畠山高政が三好勢に勝利。(久米田の戦

●弱体化
1563年 (43歳)
子の六角義治が、家臣後藤賢豊を誅したことから家臣たちの不信を買い、離反が相次ぎ弱体化。(観音寺騒動)

1565年 (45歳)
将軍足利義輝松永久秀らに暗殺されたことから、還俗した足利義秋(義昭)に頼られるが、期待にこたえられず。

●信長との対立
1568年 (48歳)
尾張国織田信長の上洛戦(信長の上洛戦)に際し箕作城を落とされたため、居城観音寺城から甲賀へ逃亡。(箕作城の戦)

1570年 (50歳)
金ヶ崎の退き口で、織田信長が京都へ逃げ帰るところを、杉谷善住坊に狙撃させるが失敗。

信長に対し反抗を続けていたが、降伏。

1598年 (78歳)
山城国の宇治田原で死没。
死没 1598年(慶長3年)3月 (享年78歳)
レクイエム 名門佐々木源氏の出であったプライドから、織田信長に従うことを良しとしなかった。

「六角氏式目」という分国法の制定を行ったり、初めて楽市を行うなど、その施政は評価される。