優れた外交手腕を発揮した近江源氏
六角定頼ろっかく さだより
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誕生 1494年(明応4年)
生誕地  
六角高頼
 
幼名 四郎
通称 吉侍者
官名 従四位下弾正忠
近親など 子:六角承禎、娘(細川晴元、室)など
ゆかりの地  近江国 観音寺城
略歴 ●六角家
1494年 (1歳)
佐々木源氏で南近江の守護、六角高頼の子として生まれる。

兄がいたため僧籍となり、京都の相国寺に入る。

●還俗と家督相続
1518年 (25歳)
兄、六角氏綱が戦の際の怪我から死没したため、還俗し家督継承者となる。

1520年 (27歳)
父、六角高頼が死没したため、家督を相続、観音寺城主に。

●将軍家への随身
その後、管領の細川家から圧迫されていた、第10代将軍、足利義稙(義尹・義材)の近侍として細川家と戦う。

1521年 (28歳)
足利義稙が、管領細川高国に京都から追われる。

足利義晴の第12代将軍への就任に貢献。

1534年 (31歳)
将軍足利義晴と細川晴元の和睦を仲介。

1537年 (34歳)
長女を細川晴元に嫁がせ、悪化していた関係を修復。

1546年 (53歳)
足利義晴から、管領代に任命される。

足利義晴の嫡男、足利義輝の元服の際の烏帽子親を務める。

1550年頃 (57歳)
嫡男六角承禎とともに管領細川晴元に従い、畿内へ進出し三好長慶らと戦う。

1552年 (59歳)
死没。
死没 1552年(天文21年)1月 (享年59歳)
レクイエム 外交に優れた手腕を発揮し、将軍家と管領家との調停や、天台宗と法華宗の調停なども成功させた。