武田家を最後に裏切った信玄の外交官
小山田信茂おやまだ のぶしげ
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誕生 1539年(天文8年)
生誕地  
小山田信有
 
幼名 藤乙丸
小山田弥三郎
官名 左兵衛尉、出羽守
近親など  
ゆかりの地  甲斐国 谷村城
 甲斐国 岩殿山城
略歴 1539年 (1歳)
甲斐武田家家臣で谷村城主、小山田信有(出羽守)の次男として生まれる。

1541年 (3歳)
武田晴信(信玄)が武田家当主に。

1552年 (14歳)
父、小山田信有(出羽守)が死没、兄の小山田信有(弥三郎)が家督を相続。

1555年 (17歳)
武田信玄信濃国のほとんどを平定。

●初陣
1557年 (18歳)
川中島の戦で初陣、功をたてる。

1565年頃 (27歳)
兄の小山田信有(弥三郎)が病没したため、家督を相続。

1569年 (30歳)
小田原の北条攻めで、北条氏照に勝利。

1572年 (33歳)
信玄の上洛戦にも従軍し、三方ヶ原の戦で先鋒として活躍。

●信玄病没
1573年 (34歳)
信玄病死により、子の武田勝頼に使える。

●長篠の戦
1575年 (36歳)
長篠の戦で武田家が大敗。

●裏切り
1582年 (43歳)
織田信長の侵攻(天目山の戦)を受け、追い込まれた武田を見捨てることを決意、領内の要害である岩殿山城に逃れてきた主君武田勝頼を裏切り、笹子峠で鉄砲を撃ちかける。

武田勝頼が天目山へ向かう途中自害。

信長に拝謁しようとするが、主君を見限ったことを織田信忠から咎められ、甲斐国善光寺で処刑される。
死没 1582年(天正10年)3月 (享年43歳)
レクイエム 武田残党の筆頭であった信茂を、織田家が生かすはずがないことは、本人もよくわかっていたはず。

小山田家は、秩父衆から武田家の被官、さらには親族衆となった家で、北条家からも領地を認められていたといわれる。

武田二十四将のひとり。信虎・信玄時代の武田四天王のひとり。