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誕生 | 1526年(享禄2年) |
生誕地 | |
父 | 小山高朝 |
母 | |
幼名 | |
元服名 | 小山小四郎氏朝 |
名 | 小山氏秀、小山秀綱、孝哲 |
官名 | 弾正大弼 |
近親など | 弟:富岡秀高、結城晴朝 正妻:成田氏長の娘(北条氏政の養女) 子:小山秀広、榎本高綱、小山政種など |
ゆかりの地 | ![]() |
略歴 | ●小山家 1525年 (1歳) 下野国小山城主、小山高朝の嫡男として生まれる。 ●家督 1560年頃 (36歳) 父、小山高朝が隠居、家督を譲られる。 ●上杉・北条 越後国の長尾景虎(上杉謙信)が関東に進出してくると、これに従う。 実弟で結城家を継いでいた結城晴朝は北条氏康についたことから、敵対関係に。 1561年 (37歳) 長尾景虎(上杉謙信)が小田原城攻めに参陣。 1563年 (39歳) 上杉家から離反し、北条氏康に従う。 上杉輝虎(謙信)に小山城を攻められ、嫡子の小山政種を人質に降伏、城を失う。 1564年 (40歳) 北条氏康に小山城を攻められ退城。城を北条氏照に占領される。 1565年 (41歳) 下妻城主、多賀谷政経らが小山城を奪取、これにより父とともに小山城に復帰。 1569年 (45歳) 上杉輝虎(謙信)と北条氏康が和睦し、相越同盟が締結される。 ●佐竹家 1574年 (50歳) 父、小山高朝が死没。 北条家に小山城を攻め落とされ、佐竹義重を頼って落ち延びる。 この頃、子の小山政種に家督を譲る。 1577年 (44歳) 実弟、結城晴朝が宇都宮家から養子を迎え(結城朝勝)、佐竹義重とも結んだことから味方に。 1578年 (54歳) 小山城奪回戦を起こすが実現せず。 ●嫡男の死 1581年 (59歳) 嫡子、小山政種が病没。これにより家長に復帰。 1582年 (58歳) 武田家を攻め滅ぼした滝川一益の取り成しにより、北条家への臣従を条件に小山城に復帰。 その後、北条氏照に従い、宇都宮攻めや皆川攻めに従軍。 ●滅亡 1590年 (66歳) 豊臣秀吉の小田原城攻めで、実弟結城晴朝に小山城を攻め落とされ、北条家の滅亡後、改易となり小山家は滅亡。 1603年 (79歳) 死没。 |
死没 | 1603年8月3日(慶長8年6月26日) (享年81歳) |
レクイエム | 小山家は藤原秀郷流、太田家の一族で、11510年頃から続いた名族であったが、北条家の関東侵出とそれを良しとしない関東管領、上杉家との狭間にいたことが大きく影響し、滅亡に追い込まれた。 |