謙信の後継をめぐるお家騒動
御館の乱おたてのらん
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西暦 1578年〜1579年
和暦 天正6年3月〜天正7年3月
周辺図
場所  越後国 御館(現在、御館公園)
 越後国 鮫ヶ尾城
写真
春日山城の本丸曲輪
概要 ●謙信の死と後継者争い
越後国守護代で、関東管領職も継いでいた上杉謙信が病死したが、謙信には実子がなく、後継者も決めていなかったことから、3人の養子のうち、上杉景勝長尾政景と姉、仙桃院の子)と上杉景虎北条氏康の子)が後継を巡って対立した。

謙信の死後すぐに春日山城の本丸を占領し、金蔵に保管されていた3万両を手にした上杉景勝と、上杉景虎の戦が始まるが、劣勢となった上杉景虎は城から脱出し、前の関東管領上杉憲政の館である「御館」に立て篭もった。

そして、お互いの城下町を焼き尽くす騒乱に発展した。

上杉景虎は、実家である相模国の北条家と同盟関係にあった甲斐国の武田家の援軍を招くが、上杉景勝が金1万2千両と上野国の一部の割譲を条件に武田勝頼との和睦に持ち込み、まずは強敵の武田家の調略に成功した。
しかし北条家は越後国に入り、坂戸城など上杉景勝の支城を攻撃し次々に占拠する。

●御館炎上
翌天正7年(1579年)2月、上杉景勝は御館を攻撃し北条軍を追い、上杉景虎方の諸城を落とし、雪のために北条軍の援軍も期待できず、御館は孤立状態となった。

3月17日、御館は炎上し落城となる。

その後和議を斡旋するために、上杉憲政上杉景虎の子、道満丸(人質に出し降伏しようとした)を伴い春日山城へ向かうが、途上上杉景勝方に討たれてしまう。

御館を落とされた上杉景虎は、実家の相模国へ落ちることを決めるが、立ち寄った越後国鮫ヶ尾城で、城主堀江宗親の謀反にあい自害。

これにより乱は集結し、上杉家は上杉景勝が継ぐことになった。

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