画像 | |
誕生 | 1557年(弘治3年) |
生誕地 | 越後国 与板 |
父 | 直江景綱 |
母 | 山吉政久の娘 |
幼名 | 船 |
名 | 貞心尼 |
官名 | |
近親など | 夫:直江信綱、直江兼続 子:直江景明、於松など |
ゆかりの地 | ![]() ![]() |
略歴 | ●城主の娘 1557年 (1歳) 越後国与板城(本与板城)主で長尾景虎(上杉謙信)家臣、直江景綱の子として生まれる。 ●上杉家の側近 その後、上野国総社長尾家から婿(直江信綱)を迎える。 1577年 (21歳) 父、直江景綱が死没。 夫の直江信綱が家督を相続。 ●夫の死と再婚 1578年 (22歳) 上杉謙信が急死。 御館の乱では、夫の直江信綱は上杉景勝に味方し勝利するが、戦後、恩賞をめぐるトラブルから春日山城にて毛利秀広に殺害される。 1581年 (25歳) 上杉景勝の側近、樋口重光(直江兼続)を婿に迎える。 その後、夫、直江兼続は上杉景勝の家老に。 1583年 (27歳) 夫、直江兼続、山城守を叙任。 ●秀吉への臣従 1586年 (30歳) 上杉景勝、豊臣秀吉の臣下につく。 ●京都 1595年 (39歳) 上杉景勝の正妻、菊姫が豊臣秀吉の人質として京都へ上る際これに従い、伏見の上杉屋敷で暮らすように。 ●米沢 1598年 (42歳) 上杉家が会津など131万石に移封されると、 夫、直江兼続は出羽国羽前米沢30万石を与えられ、米沢城主に。 これに伴い、米沢へ移る。 ●直江状 秀吉の死去後、夫、直江兼続が「直江状」を徳川家康に送り、これが関ヶ原の戦のきっかけに。 1600年 (44歳) 関ヶ原の戦後、上杉家は米沢30万石に減封。夫、直江兼続は米沢の領土を景勝に返上。 1604年 (48歳) 上杉景勝の子、上杉定勝の養育を担当。 1615年 (59歳) 嫡男、直江景明が若くして病死。 1620年 (64歳) 夫、直江兼続が江戸で病没すると、剃髪し、貞心尼と名乗り、江戸に住む。 跡取りを定めておらず直江家は断絶となるが、3000石の化粧料を与えられる。 1623年 (67歳) 上杉景勝が死没、養育してきた上杉定勝が家督を相続。 1637年 (81歳) 死没。 |
死没 | 1637年1月29日(寛永元年1月4日) (享年81歳) |
レクイエム | 才女としての誉れ高く、源頼朝の妻で、尼将軍と呼ばれた北条政子にも喩えられた。 兼続死後、直江版文選を再版した。 |