公家文化に精通した西国の大大名
大内義隆おおうち よしたか
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誕生 1507年(永正4年)
生誕地 周防国 山口
大内義興
内藤弘矩の娘
亀童丸(幼名)、義隆
官名

従二位、兵部卿、大宰大弐、侍従、左京大夫、周防介、筑前守

幕職 周防国長門国安芸国石見国豊前国筑前国守護
近親など 正室:貞子(万里小路秀房の娘)
養子:大内晴持、大内義長など
子:大内義尊など
ゆかりの地  周防国 大内氏館
略歴
●6ヵ国の守護家
1507年 1歳 周防国など6ヶ国の守護、大内義興の嫡男として生まれる
1524年 18歳 この頃から父に従い、出雲国の尼子家と戦う
●家督
1528年 22歳 父、大内義興が死没、家督を相続
●北九州
1532年 26歳 肥前国へ進出、北九州沿岸を支配し、朝鮮や明との貿易権を手中に
1534年 28歳 豊後国大友義鑑を攻めるが敗北。(勢場ヶ原の戦)
1536年 30歳 肥前国龍造寺胤栄と結び、勢福寺城主の少弐資元を攻め滅ぼす
1538年 32歳 争っていた大友義鑑と和睦
●安芸併呑
1541年 35歳 安芸国毛利元就の篭る吉田郡山城を攻めていた出雲国尼子晴久を、家臣の陶晴賢を総大将に差し向け撃退。(吉田郡山城の戦)
安芸武田家を攻め滅ぼし、安芸国を支配下に
●出雲出兵
1542年 36歳 出雲国へ侵攻し月山富田城尼子晴久を攻める(月山富田城の戦(第一次))が大敗
その際養嗣子の大内晴持が戦死
その後、文治政治を行うようになり、文治派の相良武任らを重用
1548年 42歳 従二位に昇進
1550年 44歳 フランシスコ・ザビエルを引見し、キリスト教の布教を許す
●陶の謀反
1551年 45歳 家臣、陶晴賢の謀反にあい、深川大寧寺に逃れるが自害。(大寧寺の変)
死没 1551年9月30日(天文20年9月1日) (享年45歳)
レクイエム 周防国を拠点に北九州の豊前国筑前国や、長門国石見国安芸国まで版図を広げた実力の戦国大名であった一方で、公家文化である蹴鞠や和歌にも精通していた文化人であった。

陶晴賢の謀反も、能の興行中であった。