管領代と7ヶ国の守護職を任された
大内義興おおうち よしおき
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1477年4月7日(文明9年2月15日)
生誕地 周防国 山口
大内政弘
 
亀童丸(幼名)、六郎、大内介
官名 従三位、左京大夫
幕職 管領代、周防国長門国安芸国石見国豊前国筑前国山城国守護
近親など 正室:東向殿(内藤弘矩の娘)
子:大内義隆、娘(大友義鑑の正室)など
弟:大内隆弘
ゆかりの地  周防国 大内氏館
略歴
●守護家
1477年 1歳 周防国など4ヶ国の守護、大内政弘の嫡男として生まれる
1480年 4歳 父、大内政弘、室町幕府の相伴衆に
●初陣
1492年 16歳 父に従い近江国の六角家攻めに初陣。(長享・延徳の乱)
●家督
1494年 18歳 父が隠居、家督を相続
1495年 19歳 父が死没
●内紛と北九州出征
家臣で長門国守護代の内藤弘矩を、謀反の疑いで誅殺。その後、謀反は陶武護の讒言であったことが発覚、陶武護を誅殺
1496年 20歳 豊後国大友家の内紛に介入、大友政親を処刑
1497年 21歳 肥前国の少弐政資、少弐高経父子を攻め自害に追い込む
1498年 22歳 明応の政変によって京都を追われた前将軍、足利義材(義尹)を保護
1499年 23歳 家臣、杉武明らが謀反(義興を廃して、弟の隆弘(大護院尊光)を当主に据える)を計画するが事前に露見
1501年 25歳 少弐政資の三男、少弐政資が挙兵し敵対
1506年 30歳 大友政親の弟、大友政親が挙兵し少弐政資と連合
1507年 31歳 足利義尹(義材)の仲介を受け少弐政資と和睦、北九州からの撤退を回避
●京都へ
管領、細川政元が暗殺される(永正の変)などが畿内で勃発すると、前将軍、足利義尹(義材)を戴いて上洛、政元の養子、細川高国と通じて、細川澄元らと対立
1508年 31歳 細川澄元を近江国甲賀へ追う
これにより足利義尹が将軍に復職(義稙と改名)
管領代と山城守護を拝命
    畿内奪還を図る細川澄元や三好之長と如意ヶ嶽にて激突、勝利。(如意ケ嶽の戦)
1510年 33歳 近江国へ出陣し、敵対勢力の掃討を図るが敗北
1511年 34歳 細川澄元、三好之長が摂津国から攻め寄せ敗北。(芦屋河原の戦)
和泉国堺に上陸した細川勢に対するため、摂津国の国人2万を深井城に入れ迎撃するが、こちらも大敗。(深井城の戦)
これらの敗戦を受け、一時丹波国へ撤退
●船岡山の戦
敵対する細川澄元、三好之長が担ぐ足利義澄が病死
山城国船岡山での決戦で、細川政賢を戦死させるなど勝利、再び畿内を掌握。(船岡山の戦)
1512年 35歳 戦功により、従三位に序せられ公卿に
1516年 39歳 日明貿易の恒久的な管掌権を与えられる
その後、次第に将軍、足利義稙(義尹)や細川高国と不仲に
●尼子家との敵対
1518年 41歳 出雲国から勢力を拡大してきていた尼子経久の侵攻に備えるため、管領代を辞職し京都から撤退、山口へ戻る
1523年頃 46歳 安芸国吉田郡山城主、毛利元就が離反、尼子家に寝返る
1524年 47歳 安芸国佐東銀山城で尼子勢と戦い勝利
1525年 48歳 毛利元就が帰参
1529年 51歳 死没
死没 1529年1月29日(享禄元年12月20日) (享年51歳)
レクイエム