大内家最後の当主となった、大友宗麟の弟
大内義長おおうち よしなが
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誕生 1532年(天文元年)
生誕地 豊後国
実父:大友義鑑(よしあき)、養父:大内義隆
大内義興の娘
塩乙丸(幼名)、八郎、大友晴英、大内義長
官名 従五位下、左京大夫
幕職  
近親など 兄:大友宗麟
弟:塩市丸、大友親貞
子:介丸
ゆかりの地  豊後国 大友氏館
 周防国 高嶺城
 長門国 勝山城(且山城)
略歴
●大友家
1532年 1歳 豊後国筑後国の大名、大友義鑑の二男として生まれる
●大内家の養子
1544年 13歳 母の実家でもある、大内家当主、大内義隆の猶子となり周防国
将軍足利義晴の偏諱を受け、大友晴英と名乗る
1545年 14歳 養父、大内義隆に実子(大内義尊)が誕生
猶子関係を解消され豊後国へ戻る
●二階崩れ
1550年 19歳 父、大友義鑑が、粗暴で人望も薄い嫡男の宗麟に不安を感じ、晴英の弟、塩市丸を跡継ぎに推したことからお家騒動が勃発し、父、大友義鑑が死亡(二階崩れの変
これにより、兄の大友義鎮(宗麟)が家督を継ぐ
●大内家の家督
1551年 20歳 大内義隆の家老、陶隆房(晴賢)からの要請で大内家の養子に入る
大内義隆が、陶隆房(晴賢)の謀反により自害。(大寧寺の変)
隆房の要請で大内家の家督を継ぐ
1553年 22歳 将軍、足利義藤(義輝)の偏諱を拝領し、大内義長と改名
●毛利との対立
1555年 24歳 陶晴賢厳島の戦毛利元就に敗戦し自害
これを受け、大内家での立場が悪化
1557年 26歳 毛利元就が山口に侵攻してくると、大内館の詰の城である高嶺城から、家臣、内藤隆世の且山城(長門国)へ敗走
毛利元就の家臣、福原貞俊に且山城を包囲され自害。これにより、大内家は滅亡。(勝山城の戦)
死没 1557年5月1日(弘治3年4月3日) (享年26歳)
レクイエム