宗麟のあとを継いだ22代目当主
大友義統おおとも よしむね
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像  
誕生 1558年(永禄元年)
生誕地 豊後国 大友氏館
大友宗麟(義鎮)
奈多鑑基の娘
長寿丸(幼名)、コンスタンチノ(受洗名)、大友吉統(秀吉から一字を受け改名)
官名 従五位下、左兵衛督
近親など 正妻:菊姫(吉弘鑑理の娘)
子:大友義乗など
ゆかりの地 GOOGLE MAP 豊後国 大友氏館
略歴
●太守の子
1558年 1歳 豊後国筑後国豊前国筑前国を支配下に置く大名、大友宗麟(義鎮)の嫡男として生まれる
1570年 13歳 大友家が、豊後国豊前国筑後国筑前国肥後国肥前国日向国伊予国半国を支配下に
父、大友宗麟(義鎮)が、今山の戦龍造寺隆信の家臣鍋島直茂に敗北
1576年 19歳 父、大友宗麟(義鎮)がキリシタンに帰依
父、大友宗麟(義鎮)から一旦家督を譲られるが、頼りないことを理由に返上させられる
●耳川の戦
1578年 21歳 日向国に侵攻するが、耳川の戦島津義久に大敗
その後、父と対立するなど家中が分裂し、さらに弱体化
1579年 22歳 豊後国内で、家臣の田原親貫が反乱を起こす。(田原親貫の乱)
1580年 23歳 豊後国内で、家臣の田北紹鉄が反乱を起こす。(田北紹鉄の乱)
1584年 27歳 龍造寺隆信が、沖田畷の戦島津家久有馬晴信に討たれる
●秀吉への臣従
1586年 29歳 島津家の豊後国への侵攻を受け始め、府内城を攻められると真っ先に城を脱出
岩屋城の戦で、有力家臣高橋紹運を失う
豊臣秀吉からの和睦命令に対し、 父、大友宗麟(義鎮)が大坂に赴き、秀吉の臣下につく
1587年 30歳 豊臣秀吉の援助を受け、島津家と戦う。(戸次川の戦
豊臣秀吉九州攻めに従い、島津家と戦う
戦後、豊後国一国を拝領
黒田官兵衛の誘いを受けキリシタンとなり、コンスタンチノと名乗る
父、大友宗麟(義鎮)が死没
豊臣秀吉がキリシタン禁教令を発したことから棄教
1588年 31歳 上洛し、聚楽第にて豊臣秀吉に謁見、豊臣姓を与えられ、秀吉から一字を拝領し大友吉統と改名
後陽成天皇の行幸の際、侍従として参列
1590年 33歳 豊臣秀吉に従い、小田原城攻めに従軍
1592年 35歳 子の大友義乗に家督を譲る
文禄の役に参陣
●改易と2度の幽閉
1593年 36歳 碧蹄館の戦の直前、明軍に追われた小西隊からの援軍要請を受けるが、戦局を見誤り撤退
戦後、敵前逃亡の罪により改易となり、毛利家や佐竹家に預けられる
1598年 41歳 豊臣秀吉死没
1599年 42歳 徳川家康の助力を受け、幽閉が解かれる
関ヶ原の戦では、子の大友義乗を東軍の徳川秀忠に味方させたが、自らは西軍に味方し豊後国へ侵攻するものの黒田官兵衛に敗北。(石垣原の戦)
戦後、再び幽閉され、出羽国の秋田実季へ預けられ、その後秋田家の転封に伴い常陸国へ流罪
1610年 53歳 死没
死没 1610年(慶長15年)9月 (享年53歳)
レクイエム