三船山の戦で殿軍を務めて戦死した
太田氏資おおた うじすけ
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誕生 1542年(天文11年)
生誕地  
太田資正
難波田正直の娘
源五郎、資房、道也(出家名)、氏資
官名 従五位下、大膳大夫
近親など 弟:梶原政景、太田資武、潮田資忠
妹:成田氏長の正室、多賀谷重経の正室
正妻:長林院(北条氏康の娘)
兄:太田資顕
子:娘(太田源五郎の正室・のちに北条氏房の正室)
ゆかりの地  武蔵国 武蔵松山城
 武蔵国 岩付城
略歴
●岩槻太田家
1542年 1歳 武蔵国岩付城主、太田資顕の弟、太田資正の嫡男として生まれる(その頃父は、北条派の兄、資顕と対立し武蔵松山城に入っていたことから、松山で生まれたと推定)
1546年 5歳 河越夜戦で扇谷上杉家が滅亡
父とともに上野国へ移る(推定)
1547年 6歳 父が 北条家に奪われていた武蔵松山城を奪回
伯父の太田資顕が死没すると、父が岩付城に攻め込み実力で岩槻太田家の家督を奪取
1548年 7歳 北条家に岩付城を攻められた父が降伏し帰順
●父との対立と出家
1560年 19歳 長尾景虎(上杉政虎・謙信)が越山していくると、父が帰順し、北条家に敵対
これを受けて父と対立するように
1563年頃 22歳 父が、弟の梶原政景に家督を譲ろうとしたことから出家し、道也と名乗る
    ●還俗と家督奪取
1564年 23歳 第二次国府台合戦で、長尾、里見、太田連合が北条家に敗北
岩付城にて還俗し、反北条家の父と弟の梶原政景を追放し、当主に
その後、北条氏康から偏諱を拝領し、氏資と名乗る
1565年 24歳 関宿城の簗田晴助攻めの最中、父から岩付城を攻められるが守りきる
●戦死
1567年 26歳 上総国三船山の戦で里見勢に苦戦し、退却の際殿軍を務めるが討ち死に
死没 1567年9月25日(永禄10年8月23日) (享年26歳)
レクイエム 男子がなかったため、死後は北条氏政の三男(太田源五郎・実名不詳)が入って氏資の娘婿となって太田家を継いだ