曽祖父道灌に劣らぬ名将と謳われた
太田資正おおた すけまさ
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誕生 1522年(大永2年)
生誕地  
太田資頼
太田下野守の娘
源五郎、資正、三楽斎、道誉
官名 従五位下、民部大輔、美濃守
近親など 兄:太田資顕
正室:難波田憲重の娘
継室:大石定久の娘
子:太田氏資、梶原政景、太田資武、太田景資、潮田資忠など
ゆかりの地  武蔵国 岩付城
 武蔵国 武蔵松山城
 常陸国 片野城
略歴
●上杉家と北条家
1522年 1歳 扇谷上杉家の家臣、太田資頼の子として生まれる
1524年 3歳 父、太田資頼が北条家に寝返り岩付城を奪取するが、甲斐国の武田家に攻められ、再び扇谷上杉家に帰順
1525年 4歳 岩付城北条氏綱に攻められ落城
父とともに石戸城に移る
1531年 10歳 父が岩付城を攻めて奪回
1533年 12歳 父隠居し、資正の兄、太田資顕が家督を相続
1536年 15歳 父が死没
●松山城
その後、北条寄りの兄との不和から岩付城から出奔し、扇谷上杉家の重臣で舅の難波田憲重を頼って武蔵松山城へ入る
1546年 25歳 河越夜戦で、主君上杉朝定が討ち死に(扇谷上杉家滅亡)
上野国へ移る
1547年 26歳 北条家に奪われていた武蔵松山城を攻めて奪回
●岩槻城と太田家当主
兄の太田資顕が死没したため、岩付城に攻め込み実力で岩槻太田家の家督を奪取
家臣で武蔵松山城主の上田朝直が北条家に寝返る
1548年 27歳 北条家に岩付城を攻められ降伏し帰順
その後は古河公方の家臣という扱いの元、北条家に従う
●長尾家(謙信)への帰順
1560年 39歳 越山してきた長尾景虎(上杉政虎・謙信)に帰順し、小田原城攻め(上杉謙信)の先鋒を務める
以後、武蔵国における上杉輝虎(謙信)方の旗頭に
その後、北条家から妻を迎えている嫡男、太田氏資を廃嫡し、二男の梶原政景を後継ぎにしようと画策
これを受けて、嫡男、太田氏資が出家
1564年 43歳 武田信玄(晴信)に、北条方の武蔵松山城を攻め落とされ
第二次国府台合戦で、長尾方の里見義弘が大敗
これを受けて、嫡男の太田氏資が還俗し北条家に帰順したため、二男の梶原政景ととも岩付城から追放される
1565年 44歳 関宿城攻めを行っている太田氏資の留守をつき、岩付城奪回を試みるが失敗
●佐竹家
1566年 45歳 常陸国佐竹義重を頼ってその家臣となり、片野城主に
1569年 48歳 手這坂の戦で、片野城を取り戻しにきた小田氏治に勝利し、小田城を奪う
小田城を与えられたが、城主の座を子の梶原政景に譲る
1586年 65歳 板敷山の戦で、結城家家臣、片見晴信に勝利
1590年 69歳 小田原城攻めでは、豊臣秀吉の元へ赴き拝謁
1591年 70歳 片野城で死没
死没 1591年10月25日(天正19年9月8日) (享年70歳)
レクイエム 日本で最初に軍用犬を使用したとされ、松山城の危機を犬を走らせることで岩付に報せたといわれている。

曽祖父、太田道灌に劣らぬ名将であった。