伊達家と敵対した奥州探題の末裔
大崎義隆おおさき よしたか
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誕生 1548年(天文17年)
生誕地 陸奥国陸前
大崎義直
 
義隆
官名 左衛門佐、左衛門、左衛門尉
近親など 弟:黒川義康(黒川晴氏の養子)
妹:妙英(最上義光の正室)
子:大崎義興、大崎義成
ゆかりの地  陸奥国陸前 名生城
 陸奥国陸前 中新田城
略歴
●奥州探題の末裔
1548年 1歳 奥州探題、斯波家の末裔で、大崎六郡(黒川、賀美、玉造、栗原、遠田、志田)の領主、名生城主の大崎義直の子の子として生まれる
1571年 24歳 葛西晴信と領地をめぐり対立、葛西領に侵攻するが敗北
1577年 30歳 父、大崎義直が死没。これにより家督を相続。(推定)
●伊達政宗との対立
その後、縁戚関係のある出羽国羽前最上義光の援助を受け、服属してきた伊達家からの独立を図る
1588年 41歳 寵童ふたり(伊庭野惣八郎、新井田隆景)の争いが家中を二派に分けたお家騒動に発展
伊達政宗に加美郡の中新田城を攻められるが、城代、南条隆信の奮戦や黒川晴氏の援軍、最上義光の伊達領への牽制行動などにより伊達勢を撃退。(中新田の戦=大崎合戦)
1589年 42歳 摺上原の戦伊達政宗蘆名義広に勝利。これにより、伊達政宗が奥州を平定
これを受けて、大崎家も伊達家に服従
●小田原不参陣と滅亡
1590年 43歳 豊臣秀吉小田原城攻めには参陣せず
戦後領地を没収され、大崎家は滅亡
前田利家徳川家康の取り成しにより、旧領の一部を返還されることが決定するが、葛西大崎一揆が発生したことから取り消しに
1592年 45歳 蒲生氏郷に仕え、文禄の役(朝鮮出兵)に参陣
1600年 53歳 この頃、2700石で上杉景勝に仕える。(異説あり)
1603年 56歳 越後国で死没
死没 1603年9月18日(慶長8年8月13日) (享年56歳)
レクイエム