堺の町を焼き討ちした治長の弟
大野道犬おおの どうけん
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画像  
誕生 ????年(????年)
生誕地 尾張国大野村(異説あり)
大野定長
大蔵卿局淀殿の乳母)
治胤、道犬斎、道賢斎、道見斎、道軒斎
官名  
近親など 兄:大野治長、大野治房
弟:大野治純
ゆかりの地 GOOGLE MAP 丹後国 大野城
 摂津国 大坂城
略歴
●丹後
????年 1歳 尾張国大野村の武士、大野定長の子として生まれる
●淀殿の乳兄弟
その後、母が豊臣秀吉の側室、淀殿の乳母に
1598年 ??歳 豊臣秀吉の死後は、兄の大野治長らとともに豊臣秀頼の側近に
その後出奔し、浪人となる(理由不明)
●大坂の陣
1614年 ??歳 大坂冬の陣の直前、帰参し大坂城に入城、5千の兵を任される
野田・福島の戦で徳川水軍に油断を衝かれ大敗北、豊臣水軍が壊滅
1615年 ??歳 大坂夏の陣では、徳川軍の兵站基地となっていた堺の町を焼き討ち
その後、大坂城が落城間近となると城から脱出
    京都で徳川軍に捕らえられる
    堺衆に引き渡され、火あぶりの刑に処される(異説あり)
死没 1615年7月22日(慶長20年6月27日) (享年??歳)
レクイエム 豊臣水軍を壊滅させたことから、「橙武者(正月飾りの橙のように見掛け倒しの武将)」と不名誉なあだ名が付けられた。

ちなみに大坂の陣で「橙武者」の誹りを受けたのはもう一人おり、遊郭に泊まっている間に博労淵砦を落とされた薄田兼相。