信長が伊勢を平定
大河内城の戦
おかわちじょうの たたかい
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西暦 1569年
和暦 永禄12年10月
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大河内城
略図
関連する場所  伊勢国 神戸城
 伊勢国 木造城
 伊勢国 大河内城
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概要 ●信長の次の課題
足利義昭を担いで上洛に成功し、またたく間に畿内を平定した織田信長の次の課題は、本拠の尾張国の隣国、伊勢国を完全に攻略することである。

伊勢国は、北畠家が国司を務めるものの、国内には小さな豪族が48家あって、それぞれが独自の領地支配を行っているという国であった。

1568年に4万の軍勢で伊勢国へ進出した信長は、有力者である神戸城神戸具盛を降伏させ三男の織田信孝を養子に送り込むことに成功、さらに翌年1569年、長野城の長野家も攻略し弟の織田信包を養子に送り込むなど北伊勢は平定していたものの、南伊勢にはまだまだ信長への敵対勢力が溢れていた。

●木造具正
1569年5月、信長に朗報が舞い込む。
南伊勢、木造城主である木造具正が、織田家への服従を申し入れてきたのである。
木造具正は、国司北畠具教の実弟であったが、信長が上洛戦ののちは伊勢攻略を目指すという情報を早くから得ており、早々の帰順に踏み切ったのであった。

これを聞いた北畠具教は、籠城支度中の大河内城で激怒、人質としていた木造具正の家老、柘植三郎佐衛門の娘を処刑すると、兵を繰り出し木造城を攻め始めた。

織田信長は、滝川一益を木造城の援軍に差し向けた。本来ならば自ら大軍を率いて一気に伊勢を攻略したいところであるが、どうしても東の武田信玄の動きが気になった。
信長の同盟者である徳川家康が、遠江国において今川氏真と攻防戦を行っているが、武田信玄はその隙を突いて漁夫の利を得ようとしている様子である。

これを受けて信長は徳川家康に指示し、今川氏真と和睦させることに成功したが、これに不満をもった武田信玄が、信長に対し敵対を宣言した。
武田信玄にとっては、まずは遠江国へ進出し、行く行くは京都を目指すと考えていたわけで、その目標が遠ざかってしまったためである。

●伊勢へ
ひとまず武田信玄の脅威を廃した織田信長は、8月20日に総勢7万といわれる大軍で伊勢国へ向い、諸城を攻略しながら南下、北畠具教の籠る大河内城を囲むと兵糧攻めを行い、約1ヶ月後開城させることに成功した。
兵の損失もほとんどなく、見事な戦略であった。

北畠具教は降参の条件として、信長の二男である茶筅丸(織田信雄)を養子にすることを止む無く承知した。

伊勢国を平定した信長は、伊勢神宮へ参拝したのち直接上洛した。
その他