美濃の蝮の主家乗っ取り
大桑城の戦(第一次)
おおがじょうのたたかい
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西暦 1542年
和暦 天文11年8月
略図
関連する場所  美濃国 大桑城
 美濃国 揖斐城
概要 ●蝮の道三
のちに蝮の道三と呼ばれる西村政利(のちの斎藤道三)は、1527年に美濃国守護、土岐頼武(政頼)を攻めて美濃国から追い、その弟土岐頼芸を守護につけることに成功していた。

道三は、頼芸の重臣で自分を見出してくれた恩人でもある長井長弘を殺害、さらには土岐頼芸の弟、土岐頼満を毒殺するなど、着々と権力強化策を実行していった。

●頼芸の不安
道三の助力で守護職を得た土岐頼芸であったが、道三の権勢が増してくると危機感を覚えるようになり、越前国の朝倉家や追い出した兄の土岐頼武の遺児、土岐頼純と連絡を取り合い道三討ちを画策し始めた。

●大桑城
しかしこの動きは道三の知るところとなり、天文11年(1542年)8月道三は、土岐頼芸の居城、大桑城を取り囲んだ。

不意打ちをくらった土岐頼芸は、ほとんどなすすべなく城から脱出、尾張国織田信秀を頼って落ちていった。

●和睦
しかし美濃国に進攻してきた越前国の朝倉家や尾張国の織田家の軍勢をいつまでも敵に回してはおけない道三は、止む無く和睦に応じ守護の土岐頼芸を揖斐城に、土岐頼純を大桑城に入れることとなった。

道三はこの5年後、再び大桑城を攻め、土岐頼芸から美濃国を奪い取る。
(大桑城の戦(第二次))
その他