東軍に寝返ったが改易となった
小川祐忠おがわ すけただ
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像  
誕生 1550年(天文19年)(?)
生誕地 近江国
小川伯耆守
 
孫一郎(幼名)、左平次、祐忠
官名 従五位下、土佐守、左近太夫など
近親など 正妻:一柳直高の娘
子:小川祐滋、小川良氏など
ゆかりの地  近江国 佐和山城
 近江国 小川城
 伊予国 国分山城
略歴
●佐和山城
1550年? 1歳 近江国六角家の家臣で佐和山城主、小川伯耆守の子として生まれる
●浅井家
1560年 11歳 野良田の戦の結果佐和山城を失い、浅井家の家臣となり、小川城に移る
●信長への降伏
1570年 21歳 姉川の戦で、浅井家が織田・徳川勢に敗北
1571年 22歳 織田信長に攻められ降伏、信長の家臣となる
1573年 24歳 小谷城の戦で浅井家が滅亡
●秀吉への降伏
1582年 33歳 本能寺の変後は、明智光秀に従い山崎の戦に出陣するが敗北し、羽柴(豊臣)秀吉に降伏
●柴田勝家
清洲会議後は、柴田勝家の甥で長浜城柴田勝豊の家老に
主君、柴田勝豊羽柴(豊臣)秀吉に寝返る
●秀吉
1583年 34歳 賤ヶ岳の戦でも、羽柴(豊臣)秀吉に従う
戦後、羽柴(豊臣)秀吉の直臣に
1584年 35歳 小牧・長久手の戦に参陣
1590年 41歳 小田原城攻めに参陣
1592年 43歳 文禄の役で貢献
1598年 49歳 伊予国今治を拝領し、国分山城を居城に。(7万石)
醍醐寺三宝院の花見では、三番茶屋を取り仕切る
●関ヶ原
1600年 51歳 関ヶ原の戦では西軍につくが、小早川秀秋に呼応し脇坂安治朽木元綱赤座直保らとともに東軍に寝返り、平塚為広を討つなど貢献
戦後は、嫡男の小川祐滋が石田三成と懇意だったことなどから改易となり、京都にて隠棲
1601年 52歳 近江国高島で死没
レクイエム  
死没 1601年??月??日(慶長6年) (享年52歳)