上杉と結んだ北条への信玄の報復
小田原城攻め
(武田信玄)

おだわらじょうぜめ(たけだしんげん)
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西暦 1569年
和暦 永禄12年8月〜
写真
小田原城 再建天守
関連する場所  相模国 小田原城
略図
概要 ●三国同盟の崩壊
1555年に結ばれた相甲駿三国同盟は、駿河国今川義元桶狭間の戦で討ち死にし、勢力バランスが崩れた。

1560年、甲斐国武田晴信(信玄)駿河国の今川領に侵入、ここに三国同盟は破れた。信玄は、この頃から上洛を意識し始めていたようで、上洛ルートは駿河国遠江国に出て東海道を伝うしかないと考えての、駿河入りだったと思われる。

●北条と上杉の同盟、武田の孤立
1569年、相模国小田原城主の北条氏康は、北からの脅威を排除するために、敵対していた越後国上杉謙信と同盟(相越同盟)し、北条氏政の正室(武田信玄の娘)を、甲斐国へ送り返した。
北条家と上杉家が結べば、武田家は甲斐国信濃国に孤立することになる。

●信玄小田原城を包囲
武田信玄はこれに激怒、2万の大軍を率いて武蔵国滝山城を攻めるが落ちず、相模国に侵入、8月北条氏康小田原城を包囲した。
この包囲は、北条家が武田家の挑発にのらず、ひたすら籠城を決め込んだことから、わずか4日間だけに終わった。武田信玄は武威を充分に示したことに満足し、包囲を解いた。

この後、甲斐国へ戻る途中、三増峠において激戦が行われる。
三増峠の戦