有楽町に名を残す信長の末弟
織田有楽斎おだ うらくさい
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誕生 1547年(天文16年)
生誕地   
織田信秀(十一男)
 
幼名 源五郎
織田長益(本名)
官名 従五位下侍従など
近親など 兄:織田信長織田信行織田信包など
姉:お市の方など
子:織田長孝、織田頼長、織田長政など
ゆかりの地  尾張国 大野城
 尾張国 大草城
略歴 ●信長の末弟
1547年 (1歳)
織田信長の末弟として生まれる。

1572年頃 (26歳)
この頃、織田信長の嫡男で甥の織田信忠の旗下につく。

●兄の死
1582年 (36歳)
明智光秀の謀反(本能寺の変)により、兄信長が自害。

その際、織田信忠とともに二条城に立て篭もるが無事脱出。

その後は信長二男織田信雄の旗下に。

●秀吉への接近
信長の後継者争いでは、織田信雄とともに羽柴(豊臣)秀吉方につく。

尾張国知多に所領を受け、大野城に入城。

その後、大草城を築城。

1584年 (38歳)
小牧・長久手の戦

1590年 (44歳)
織田信雄が失脚すると、摂津国に移る。

この頃、有楽斎を名乗る。

1600年 (54歳)
関ヶ原の戦で東軍(徳川家康)につき戦功をあげる。

その功から大和国に3万2千石を拝領。

●秀頼の補佐
その後も大坂城において、姪の淀殿豊臣秀頼の補佐をつとめる。

●大坂の陣
1614年 (68歳)
大坂冬の陣のあと大坂城を出奔。これは大坂城にいながら徳川家康へ情報を送っていたためと言われている。

その後は茶人として京都で過ごす。

1621年 (75歳)
死没。
死没 1622年1月24日(元和7年12月13日) (享年75歳)
レクイエム 若い頃から病弱を理由に戦にはあまり参陣していないが、75歳まで生きたことから病弱は口実だった可能性が高い。

東京の有楽町は、有楽が一時居を構えたことから町の名になった。

茶道では千利休の門人となり、利休七哲のひとりとして数えられる。