我が子に岩倉城を追い出された上四郡の守護代
織田信安おだ のぶやす
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誕生 ????年(???年)
生誕地  
織田俊信
 
幼名  
 
官名 伊勢守
幕職 尾張国守護代(上四郡)
近親など 正妻:岩倉殿(織田信定の娘)
子:織田信賢、織田信家など
ゆかりの地  尾張国 岩倉城
 近江国 ハ見寺
略歴 ●守護代家
????年 (1歳)
尾張国上四郡の守護代、岩倉織田家の当主、織田俊信の子として生まれる。

1517年 (?歳)
父、織田敏信の死没により、家督を相続。
幼かったことから、犬山城主の織田信康が後見。

1532年頃 (?歳)
清洲織田家(下四郡の守護代)の奉行だった織田信秀(織田信康の兄、織田信長の父)が、尾張国に台頭。

1547年 (?歳)
犬山城主の織田信康が討ち死に。跡を継いだ織田清信が犬山城主に。

●信長との対立
1551年 (?歳)
織田信秀死没。織田信長が後継者に。

家臣だった、犬山城主の織田清信が独立する姿勢を見せ、領土を横領したことから敵対関係となり、これにより、織田信長との関係も悪化。

1553年 (?歳)
家臣の稲田大炊助を、織田信長に内通した疑いで誅殺。

1556年 (?歳)
父の斎藤道三を長良川の戦で討った美濃国斎藤義龍と結び、織田信長に敵対。

1557年 (?歳)
織田信行が、兄、織田信長に敵対すると、信行に味方。

●追放
長男の信賢ではなく、次男の信家に跡を継がせようとしたことから、信賢に岩倉城から追放される。

その後、美濃国斎藤義龍に仕える。

1559年 (?歳)
子の織田信賢が、織田信長に攻め滅ぼされる。(岩倉城の戦)

1561年 (?歳)
主君の斎藤義龍が死没すると、跡を継いだ斎藤龍興にそのまま仕える。

1567年 (?歳)
主君の斎藤龍興が、織田信長に敗戦し美濃国を追われると、京都へ逃亡。

●総見寺住職
????年 (?歳)
後に織田信長に許され、近江国安土、ハ見寺の住職に。

1591年 (?歳)
死没。
死没 1551年(天文20年)3月 (享年42歳)
レクイエム 元家臣の山内一豊を頼り土佐国で隠棲し、1611年、または1614年に死没したという説もある。