清洲三奉行のひとりで信長の父
織田信秀おだ のぶひで
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誕生 1510年(永正7年)
生誕地  
織田信定(長男)
正室
幼名  
元服名 織田三郎信秀
官名 弾正忠、従五位下、備後守、三河守
近親など 正室:織田達勝の娘
側室:土田御前など
弟:織田信光など
子:織田信広、織田信時、織田信長織田信行、織田秀孝、織田信包、織田秀孝、織田信治、織田信興、織田秀成、織田信照、織田有楽斎(長益)、織田長利、お市の方、お犬の方など
ゆかりの地  尾張国 勝幡城
 尾張国 那古野城(後の名古屋城
 尾張国 古渡城 (現在の東本願寺名古屋別院)
 尾張国 末森城
略歴 1510年 (1歳)
清洲織田家(尾張国下四郡=の守護代・織田大和守家)の三奉行のひとりで、勝幡城主、織田信定の子として生まれる。

1527年 (18歳)
父、織田信定から家督を譲られる。

●那古野城主
1532年 (23歳)
今川氏豊を諜略により油断させ、那古野城(後の名古屋城)を奪い居城に。

1533年 (24歳)
公家の山科言継、飛鳥井雅綱を尾張国に招き饗応。

1534年 (25歳)
嫡男(二男)吉法師(織田信長)が誕生。
平手政秀をその傅役につける。

●三河・美濃侵攻
1535年 (26歳)
三河国松平家の動乱(守山崩れ)に乗じ、三河国へ侵攻。

その際松平氏が駿河国今川氏に頼ったことから、今川氏と敵対関係に。

1539年 (30歳)
古渡城を築城し、居城に。

1540年 (31歳)
三河国安祥城を攻めるが攻略できず。

1541年 (32歳)
朝廷より、三河守を叙任。

1542年 (33歳)
小豆坂の戦(第一次)で、駿河国今川義元に勝利。これにより西三河を確保。

斎藤道三に追放された美濃国元守護の土岐頼芸らを援助し、美濃国に復帰させる。

1544年 (35歳)
三河国安祥城を攻略。

1547年 (38歳)
美濃国斎藤道三の稲葉山城を攻めるが、敗北。(美濃崩れ)

勝利の勢いに乗った斎藤道三に、織田播磨守が守将の大垣城を攻められるが、援軍に駆けつけ美濃衆を退ける

この間、清洲織田家から古渡城を攻められるが、後に和睦。

●美濃との和睦
1548年 (39歳)
平手政秀の発案により、斎藤道三の娘を嫡男織田信長の嫁に迎えることが決定。これにより斎藤家と和睦。

末森城を築城し、居城に。

第二次小豆坂の戦で、今川方の太原雪斎らに敗北。

1549年 (40歳)
太原雪斎安祥城を攻略されたことから、三河国から撤退。

1551年 (42歳)
末森城で病没。
死後、嫡男織田信長に家督を譲る。
死没 1551年4月8日(天文20年3月3日) (享年42歳)
レクイエム 尾張国守護、斯波氏の守護代清洲織田家の三奉行のひとりに過ぎなかったが、商業都市津島の支配により経済力を高めた。

結果的には、主家清洲織田家にとって替わるまでには至らなかった。