義信の傅役を努めた武田家の宿老
飯富虎昌おぶ とらまさ
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誕生 1504年?
生誕地  
飯富道悦
 
幼名  
 
官名 兵部少輔
近親など 弟:飯富三郎兵衛(山県昌景
ゆかりの地  信濃国 内山城
略歴 ●甲斐
1504年 (1歳)
甲斐国巨摩郡の国人、飯富道悦の子として生まれる。

●信虎への随身
1515年 (12歳)
父、飯富道悦が死没。家督を相続。(推定)

父同様、甲斐国守護の武田信虎に仕える。

1521年 (17歳)
武田信虎の嫡男、武田晴信(信玄)が誕生。

1538年 (34歳)
信濃国の諏訪家・村上家との戦で貢献。

●信虎追放
1541年 (37歳)
武田晴信(信玄)に従い、クーデターにより武田信虎を駿河国へ追放。晴信を武田家当主に据えることに成功。

1542年 (38歳)
信濃国佐久郡で、小笠原家、諏訪家、村上家など信州連合軍に勝利。

この功により、内山城主となる。

1548年 (44歳)
上田原の戦で、武田家の重臣板垣信方が戦死したことにより、宿老筆頭となる。

1550年 (46歳)
信玄の嫡男、武田義信が元服。

これに伴い、武田義信の傅役に任命される。

1553年 (49歳)
長尾景虎(上杉謙信)率いる8千に内山城を攻められるが、8百の寡兵にも関わらずこれを撃退。

●川中島
1561年 (57歳)
第四次川中島の戦のきつつき先鋒では、別働隊1万2千の大将をつとめる。

●義信謀反
1565年 (61歳)
信玄の駿河国侵攻に反対する武田義信に従い、謀反未遂を起こす。(義信事件)

その責任を取り、自害。
死没 1565(永禄8年)10月 (享年61歳)
レクイエム 武田二十四将のひとりで、飯富の赤備えでも有名。

自害の理由はいくつかある。

1.武田家中における虎昌の権勢拡大を恐れた信玄が、嫡男信義の謀反未遂を口実に、事前に取り除いたという、粛清説。

2.信玄の暗殺計画は、義信ではなく虎昌らが自ら計画していたため、という首謀者説。

3.信義の信玄への謀反を未然に防ぐために、わざと弟である三郎兵衛(山県昌景)に計画を漏らしたことから、その責任を取ったという、犠牲説、など。