二階崩れを招いた宗麟の傅役
入田親誠にゅうた ちかざね
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誕生 不明(1502年・文亀2年以前)
生誕地 豊後国
入田親廉
 
親誠、親実、丹後
官名 兵庫頭、丹後守
近親など 弟:朽網鑑康、入田親宗、入田親助
正妻:阿蘇惟豊の娘
子:入田義実、入田親利、入田鎮氏、娘(立花道雪の正室)
ゆかりの地 GOOGLE MAP 豊後国 津賀牟礼城
略歴
●大友一門
????年 1歳 豊後国の大名大友義鑑の一門で、津賀牟礼城主、入田親廉の嫡男として生まれる
その後、父同様大友家に仕える
その後、主君大友義鑑から寵愛を受け、加判衆に
    ●宗麟の傅役
1535年頃? ??歳 その後、義鑑の嫡男、塩法師丸(大友宗麟)の傅役に
    ●宗麟との不仲
    その後、五郎(大友宗麟)と不仲に(異説あり)
    その後、主君の大友義鑑五郎(大友宗麟)を廃嫡し、三男の塩市丸を後継に推したことからこれに共謀し、五郎派の重臣である小佐井大和守や、斎藤長実の誅殺を計画(異説あり)
●二階崩れ
1550年 ??歳 二階崩れの変が起こり五郎(大友宗麟)の廃嫡に失敗
跡を継いだ義鎮(大友宗麟)から変の首謀者とみなされ、居城の津賀牟礼城に籠るが戸次鑑連(立花道雪)らに攻められたため、妻の実家である阿蘇惟豊を頼って逃亡
親誠の謀反を嫌った阿蘇惟豊から誅殺される
死没 1550年(天文19年) (享年??歳)
レクイエム 宗麟との不仲については異説があり、実は宗麟を廃嫡しようとしてた主君、義鑑へ諫言を行ってさえいたともいう。