小早川水軍の総大将も務めた
乃美宗勝のみ むねかつ
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誕生 1527年(大永7年)
生誕地 安芸国
乃美(浦)賢勝
 
幼名  
元服名  
浦宗勝、浦兵部、助四郎
官名 備前守、兵部丞
主な近親 子:浦盛勝、浦景継など
ゆかりの地  安芸国 賀儀城
 筑前国 立花城
略歴 ●小早川家の家臣
1527年 (1歳)
安芸国の国人で小早川家の家臣、乃美賢勝の子として生まれる。

その後、父同様に小早川家に仕える。

●毛利氏と小早川氏
1544年 (18歳)
毛利元就の三男、徳寿丸(小早川隆景)が竹原小早川家の養子に。

1550年 (24歳)
小早川隆景、本家である沼田小早川家も相続。

●厳島の戦
1555年 (29歳)
厳島の戦の直前、縁戚にあたる村上水軍の総大将村上武吉を味方につけるための使者に立ち、「一日だけの味方」を要請、成功。

厳島の戦で、毛利元就陶晴賢に勝利。

その後の毛利家の中国平定戦でも、水軍を率いて活躍。

●九州
1561年 (35歳)
門司城攻めでは、敵将、伊美弾正と一騎打ちを行い勝利。

1565年 (39歳)
安芸国竹原に賀儀城を築城し城主に。

1568年 (42歳)
毛利元就の伊予出兵に従軍、伊予国の河野通宣を救援。

1569年 (43歳)
毛利元就立花城の戦に従軍、勝利後は立花城代に。

毛利領に尼子家の残党尼子勝久山中鹿之介らが侵入したことを受けて、毛利勢が筑前国から撤退、宗勝は立花城に籠もり大友宗麟勢と対立。

1570年 (44歳)
立花城を大友宗麟の家臣、戸次鑑連に明け渡し安芸国へ撤退。

1575年 (49歳)
備中国の三村家攻めに従軍、常山城攻めなどで活躍。

●織田家との戦い
1576年 (50歳)
播磨国に入り、織田信長と結んだ小寺孝高(黒田官兵衛)と戦い敗北。(英賀の戦)

織田信長に攻められている本願寺の救援に水軍の総大将として向かい、九鬼嘉隆率いる水軍300隻と木津川河口で海戦しこれに勝利。
第一次木津川の戦

1578年 (52歳)
再び木津川河口で織田信長軍と戦うが、信長が九鬼嘉隆に作らせた6隻の鉄甲船の前に大敗。(第二次木津川の戦

1579年 (53歳)
織田信長の部将、羽柴(豊臣)秀吉に攻められていた三木城への兵糧搬入に成功。

1582年 (56歳)
嫡男の浦盛勝が急死。(敵将、羽柴(豊臣)秀吉の調略を受けていたことから、毛利家により暗殺されたなどの説あり)

本能寺の変

●晩年
1584年 (58歳)
主君小早川隆景の働きかけにより、毛利家は羽柴(豊臣)秀吉の臣下に。

1592年 (66歳)
朝鮮への侵攻(文禄の役)に参陣するが、陣中で病死。
死没 1592年10月28日(天正20年9月23日) (享年66歳)
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