123万石から15万石に減封された
丹羽長重にわ ながしげ
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誕生 1571年5月11日(元亀2年4月18日)
生誕地 尾張国 児玉
丹羽長秀
織田信広の娘
幼名 鍋丸
丹羽五郎左衛門長重
官名 侍従、従三位、参議、加賀守など
通称 五郎左衛門、加賀宰相など
近親など 子:丹羽光重など
ゆかりの地  近江国 佐和山城
 若狭国 後瀬山城
 近江国 大溝城
 越前国 北ノ庄城
 加賀国 松任城
 加賀国 小松城
 陸奥国磐城 棚倉城
 陸奥国磐城 白河小峰城
略歴 ●織田家家臣
1571年 (1歳)
織田信長の家臣で、近江国佐和山城主、丹羽長秀の子として生まれる。

1575年 (5歳)
父、丹羽長秀が、近江国佐和山に加え若狭国一国も任され、後瀬山城主に。

●信長の死
1582年 (12歳)
本能寺の変で、主君織田信長が自害。

●秀吉
山崎の戦では、父、丹羽長秀羽柴(豊臣)秀吉に味方し勝利。

清洲会議

父、丹羽長秀近江国大溝城を居城に。

1583年 (13歳)
賤ヶ岳の戦では、父、丹羽長秀に従い参陣。

これらの功から、丹羽家は若狭国の他に、近江国越前国加賀国などに加増され、合計123万石の太守に。

1585年 (15歳)
小牧・長久手の戦では病気の父の替わりに参陣し、羽柴(豊臣)秀吉に味方。

●家督
父、丹羽長秀が自害。(病没説も)。これにより家督を相続。

●減封
越中国佐々成政攻めに参陣するが、家臣が成政に内応したことから、戦後大幅減封となり、若狭国一国15万石のみ安堵。

1587年 (17歳)
九州攻めに参陣するが、家臣の狼藉を咎められ、加賀国松任(4万石)に減封の上転封となり、松任城主に。

●加増
1590年 (20歳)
小田原城攻めに参陣。

1598年 (28歳)
加賀国小松(12万石)に加増の上、転封され小松城主に。

従三位、参議となり、小松宰相と呼ばれる。

●改易
1600年 (30歳)
関ヶ原の戦の際は西軍についたため、東軍の前田利長から小松城を攻められるが撃退、撤退する前田勢に追討戦を仕掛けるが、勝負はつかず。(浅井畷の戦)

戦後、改易に。

●常陸へ復帰
1603年 (33歳)
常陸国古渡藩主となり、大名に復帰。(1万石)

1614年 (44歳)
大坂冬の陣に参陣。

1615年 (45歳)
大坂夏の陣に参陣。

1619年 (49歳)
常陸国江戸崎藩主に。(2万石)

1622年 (52歳)
陸奥国磐城棚倉藩主に。(5万石)

1625年 (55歳)
棚倉城を築城。

●白河城
1627年 (57歳)
陸奥国磐城白河藩主に。(10万石)

白河小峰城を大改修。

その後、将軍家の御伽衆に。

1637年 (67歳)
江戸の屋敷にて死没。
レクイエム 父の死後、政権を握った秀吉にとって、最も邪魔な存在の一人として123万石の太守から一介の小大名にされてしまったが、江戸時代になると順次加増されたように、その素養は並ではなかった。
死没 1637年4月30日(寛永14年閏3月6日) (享年67歳)