高遠城で壮絶に散った信玄の五男
仁科盛信にしな もりのぶ
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誕生 1557年(弘治3年)
生誕地  
武田信玄
油川氏(信玄側室)
幼名 五郎
武田晴清、仁科盛信
官名 薩摩守
通称 五郎
近親など 正妻:武田信繁の娘、武田信廉の娘
兄:武田義信武田勝頼など
妹:信松尼菊姫
子:仁科信基など
ゆかりの地  信濃国 森城
 信濃国 高遠城
略歴 ●信玄の五男
1557年 (1歳)
甲斐国武田晴信(信玄)の五男として生まれる。

1561年 (5歳)
父、武田信玄が、上杉家へ寝返った信濃国安曇郡の名族、仁科盛政を攻め、自害させる。

その後、 父、武田信玄の命により、仁科家の名跡を継いで森城主となり、越後国との国境防備を担う

1573年 (17歳)
父、武田信玄が死没。

●高遠城
1581年 (25歳)
高遠城代となる。

1582年 (26歳)
織田信長の武田攻め(天目山の戦)では、伊那口から攻め上がってきた織田信忠率いる5万の大軍に対し高遠城に籠り3千の兵を指揮し勇敢に戦うが、討ち死に。
死没 1582年(天正10年)3月 (享年26歳)
レクイエム 高遠城を枕に討ち死にした見事さは、敵である織田方からも、比類なき働き、前代未聞の次第と賞賛されたほど。