家康暗殺をしくじった豊臣五奉行
長束正家なつか まさいえ
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誕生 1562年?(永禄5年)
生誕地 尾張国または近江国
水口盛里
 
幼名 新三郎
元服名  
通称 利兵衛
官名 従五位下大蔵大輔・従五位下侍従など
近親など 正室:本多忠勝の娘
子:長束半衛門など
ゆかりの地  近江国 水口岡山城
略歴 出自は不詳。

●丹羽家
その後、織田信長家臣、丹羽長秀に仕える。

●秀吉への随身
1585年 (24歳)
羽柴(豊臣)秀吉の奉行衆として仕える。

1587年 (26歳)
九州攻めでは兵糧方として活躍。

1592年〜1597年 (31歳〜36歳)
二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)でも兵糧方をつとめる。

●水口城主
1595年 (34歳)
5万石を拝領し、近江国水口岡山城城主に。

●五奉行
1598年 (37歳)
五奉行制がしかれると、そのひとりに。

豊臣秀吉死没後は、一旦徳川家康に接近。

●関ヶ原
1600年 (39歳)
関ヶ原の戦の直前、会津征伐に向かった徳川家康を暗殺しようと企てるが失敗。

石田三成と呼応して西軍につく。

関ヶ原の戦では、南宮山の毛利軍(毛利秀元吉川広家)の後方に布陣したために参戦できず、近江国に敗走。

その後、東軍の池田輝政に水口城を攻められ、城に火をかけ自害。
死没 1600年(慶長5年)10月 (享年39歳)
レクイエム 正妻が本多忠勝の娘だっただけに東軍につく手もあったろうが、豊臣家を思う石田三成の考え方に感銘し西軍についたとされる。