三成の水攻めから忍城を守りきった
成田長親なりた ながちか
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誕生 1545年(享禄4年)
生誕地  
成田泰季
 
幼名  
元服名  
成田長親、自永斎
官名  
近親など 正妻:遠山藤九郎の娘
子:成田長季、成田泰家、成田元由など
ゆかりの地  武蔵国 忍城
略歴 ●成田家
1545年 (1歳)
武蔵国忍城主、成田長泰の弟、成田泰季の子として生まれる。

成田家が北条氏康の臣下に

1552年 (8歳)
北条家に攻められた主君の上杉憲政が、越後国長尾景虎(上杉政虎・謙信)の元へ逃れる。

●長尾家の臣下
1560年 (16歳)
長尾景虎(上杉政虎・謙信)が関東へ出兵(越山)してくると、成田家は北条氏康から離反し景虎の臣下に。

1561年 (17歳)
長尾景虎(上杉政虎・謙信)、10万の大軍で小田原城の北条攻めを行うも不首尾。(小田原城攻め(上杉謙信)

長尾景虎(上杉政虎・謙信)が、鎌倉の鶴岡八幡宮において上杉憲政から関東管領を相続し、長尾景虎から上杉政虎に改名し、その後帰国。
就任式の際、成田長泰は景虎の前で下馬しなかったことを咎められる。

●北条氏の臣下
これが原因で、成田長泰は再び北条氏康に寝返る。

1563年 (19歳)
成田長泰、上杉輝虎(謙信)忍城を攻められ降伏し隠居。
長泰の子(成田長親の従兄)、成田氏長が家督を継ぐ。

1569年 (25歳)
上杉輝虎(謙信)北条氏康が同盟。(相越同盟)
これにより、成田家は三度北条家の臣下に。

●織田氏の臣下
1582年 (38歳)
成田家は、天目山の戦で武田家を滅ぼした織田信長の家臣で、上野国一国と信濃国の小県郡と佐久郡を領有することになった滝川一益の臣下に。

●北条氏の臣下
本能寺の変後起こった神流川の戦で、滝川一益が北条家に敗北。
これを受け、成田家はまたしても北条家の臣下に。

●水攻め
1590年 (46歳)
豊臣秀吉小田原城攻めが始まると、主君、成田氏長は小田原城に入城。
忍城の守備を、長親が任される。

秀吉家臣、石田三成を大将に、長束正家佐竹義宣真田昌幸宇都宮国綱結城晴朝など2万3千から水攻めを受けるが、小田原城落城後まで忍城を守りきる。

戦後は、主君、成田氏長とともに会津の蒲生氏郷の元に身を寄せる。

その後主君、成田氏長と不仲になり出家、自永斎と名乗る。

その後、尾張国大須で過ごす。

1613年 (68歳)
尾張国で死没。
死没 1613年1月24日(慶長17年12月4日 (享年68歳)
レクイエム 映画「のぼうの城」の主人公。