最盛期をもたらした二十四代当主
南部晴政なんぶ はるまさ
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誕生 1517年(永正14年)
生誕地  
南部安信
 
幼名 彦三郎
元服名  
南部安政、南部晴政
官名 右馬助、大膳亮、大膳大夫
近親など 子:娘(南部信直の正室)、娘(九戸実親の正室)、南部晴継
養子:南部信直
ゆかりの地  陸奥国陸奥 三戸城
略歴 ●南部家
1517年 (1歳)
陸奥国陸奥の大名で三戸城主、南部安信の子として生まれる。

1524年 (8歳)
父、南部安信が津軽地方を平定。

その後元服し、南部安政と名乗る。

1539年 (23歳)
家臣の赤沼備中により、三戸城を焼かれる。

その後上洛し、将軍足利義晴より偏諱を受け、南部晴政と名乗る。

●岩手郡
1540年 (24歳)
敵対してきた岩手郡滴石城主、戸沢政安を攻め、出羽国羽後角館へ追う。

岩手郡へ侵攻してきた斯波郡高清水城主、斯波経詮を攻め勝利。
これにより岩手郡を併呑。

●家督
1541年 (25歳)
父、南部安信が死没、家督を相続。

謀反を起こした工藤家を討伐。

三戸城を再建。

●養子取り
1565年 (51歳)
男子がなかったことから、叔父で石川城主の石川高信の子(南部信直)を養子に。

●安東氏との対立
1566年 (52歳)
出羽国羽前北部の安東愛季から鹿角郡を攻められるが、長牛城主、一戸友義が守りきる。

1567年 (53歳)
安東愛季から再び鹿角郡を攻められるが、守りきる。

安東愛季から三たび鹿角郡を攻められ、一戸友義の長牛城が落城。

1568年 (54歳)
一族の九戸政実とともに安東愛季を攻め、鹿角郡を奪回。
南部家の最盛期を迎える。

1569年 (55歳)
次女が九戸政実の弟、九戸実親と結婚。

●実子の誕生と嫡子争い(屋裏の変)
1570年 (56歳)
嫡男鶴千代(南部晴継)が誕生。
これを受け晴政が養子南部信直の廃嫡を図ったことから、嫡子争いが勃発。(屋裏の変)

1571年 (57歳)
一族の大浦(津軽)為信に、叔父の石川高信や小山内満安を討たれる。(大仏ヶ鼻城の戦)

南部信直派の五戸城、清水城、剣吉城を攻め落とす。

1572年 (58歳)
瀬多田石隠岐に命じ、大浦(津軽)為信を攻めさせるが敗北。(高畑城の戦い)

南部信直が川守田の毘沙門堂に参拝したところを急襲するが、逆に鉄砲で撃たれる。

1576年 (62歳)
養子の南部信直が、南部家の相続を辞退。

1582年 (68歳)
死没。
死没 1582年1月27日(天正10年1月4日) (享年68歳)
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