賤ケ岳の戦で壮烈な最期を遂げた
中川清秀なかがわ きよひで
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誕生 1542年(天文11年)
生誕地 摂津国 池田
中川重清
  
幼名 虎之助
中川瀬兵衛
官名  
近親など 子:中川秀政、中川秀成など
ゆかりの地  摂津国 高槻城
 摂津国 茨木城
 近江国 賤ヶ岳
略歴 ●中川家
1542年 (1歳)
摂津国の池田家家臣、中川重清の子として生まれる。

●荒木村重への随身
1571年 (30歳)
荒木村重らとともに、摂津国高槻城主、和田惟政を攻め討つ。

その後荒木村重の与力に。

1573年 (32歳)
主筋の荒木村重とともに、織田信長の配下に。

1578年 (37歳)
織田信長と敵対していた本願寺勢に、配下の者が百石の兵糧を渡してしまう。

織田信長に反旗を翻した荒木村重従うが、茨木城を囲まれ降伏。
再び信長に従い、荒木村重攻めを行う。

●茨木城主
その後、摂津国茨木城主として4万石を拝領。

1582年 (41歳)
本能寺の変で信長が死没。

山崎の戦では羽柴(豊臣)秀吉方につく。

●賤ヶ岳での戦死
1583年 (42歳)
賤ヶ岳の戦では、大岩山の砦の守将となるが、4倍の人数の佐久間盛政勢に対し、9度突撃を行うなど果敢に挑むも、討ち死に。
死没 1583年6月10日(天正11年4月20日) 享年42歳
レクイエム 跡を継いだ中川秀政は文禄の役(朝鮮出兵)で暗殺され、その弟の中川秀成は、関ヶ原の戦で東軍につき活躍。

荒木村重謀反の原因を作った張本人でありながら、結局は村重を攻める織田信長側についた。