真の副将と呼ばれた信玄の部将
内藤昌豊ないとう まさとよ
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誕生 1522年(大永2年)
生誕地  
工藤虎豊
 
幼名  
工藤祐長、内藤昌秀など 
通称 源左衛門
官名 修理亮
近親など 兄:内藤昌裕
養子:内藤昌月(保科正俊の子)
ゆかりの地  上野国 箕輪城
略歴 ●武田家重臣の子
1522年 (1歳)
甲斐国守護武田信虎の家臣、工藤虎豊の二男として生まれる。

●出奔
1537年頃 (16歳)
父、工藤虎豊が武田信虎の勘気を蒙り手討ちとなると、兄、工藤昌祐とともに甲斐国から出奔。

●信玄
1541年 (20歳)
武田晴信(信玄)が、父武田信虎を追放。

1546年 (25歳)
武田晴信(信玄)に呼び戻され、工藤家を相続。

1555年 (34歳)
武田信玄信濃国のほとんどを平定。

1561年 (40歳)
第四次川中島の戦では妻女山攻めの別働隊として活躍。

1566年 (45歳)
上野国箕輪城攻め(箕輪城の戦)で貢献。

1568年 (47歳)
名門、内藤家の名跡を継承。

1569年 (48歳)
小田原城攻めに参陣。

三増峠の戦では、小荷駄隊を任される。

●箕輪城代
1570年 (49歳)
箕輪城城代となり、西上野経営を任される。

1571年 (50歳)
北条家との和睦交渉の全権大使に。

1572年 (51歳)
信玄の上洛戦にも従軍し、三方ヶ原の戦で活躍。

●信玄の死
1573年 (52歳)
信玄病死により、子の武田勝頼に仕える。

1575年 (54歳)
長篠の戦では武田勝頼に撤退を主張したが容れられず、討ち死に。
死没 1575年(天正3年)5月 (享年54歳)
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