信玄・勝頼の二代に重用された
長坂長閑斎ながさか ちょうかんさい
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画像  
誕生 1513年(永正10年)
生誕地  
 
 
幼名  
長坂虎房、長坂光堅、長閑斎、釣閑斎
通称  
官名 左衛門尉、筑後守
近親など 子:長坂昌国、今福昌常など
ゆかりの地  信濃国 上原城
 信濃国 旧高島城
略歴 ●武田家の譜代
1513年 (1歳)
甲斐国武田家の譜代家臣、長坂家に生まれる。

(中略)

1543年 (31歳)
諏訪郡代、板垣信方の補佐役として信濃国上原城に入城。

●諏訪郡代
1548年 (36歳)
上田原の戦後、板垣信方が討ち死に。

これにより、諏訪郡代となり上原城城代に。

1549年 (37歳)
高島城(旧高島城)に拠点を移す。

1561年 (49歳)
第四次川中島の戦

1572年 (60歳)
信玄の上洛戦

三方ヶ原の戦

●信玄の死
1573年 (61歳)
武田信玄が病死。

その後も、武田勝頼に重用される。

1575年 (63歳)
長篠の戦には参陣せず。

1582年 (70歳)
天目山の戦で、主君武田勝頼に従い自害。
死没 1582年4月3日(天正10年3月11日) (享年70歳)
レクイエム 長篠の戦において無謀な突撃を進言し、武田家を滅亡に追い込んだ張本人と言われるが、勝頼から長閑斎へ宛てた手紙の存在から、戦へは参陣していなかったという説が有力で、誤解、あるいは捏造とされている。

信玄亡き後、経済的困難に陥っていた武田家において重商主義をもって建て直しを図るなど、新君主である勝頼からの信頼も篤かった。
それゆえに、旧来の武勇派の家人たちとの確執も激しかったようである。