上州の黄班と呼ばれた箕輪城の猛将
長野業正ながの なりまさ
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誕生 1491年(延徳3年)
生誕地 上野国
長野憲業
 
幼名  
元服名  
長野業政(別名)
官名 信濃守
近親など 子:長野業盛、娘(小幡信貞の正妻)など
ゆかりの地  上野国 箕輪城
略歴 ●長野家
1491年 (1歳)
関東管領、山内上杉家氏の家臣で、上野国の豪族、長野憲業の子として生まれる。

●箕輪衆
その後、12人の娘を近隣の豪族に嫁がせ縁戚関係を結び、箕輪衆の頭目に。

●律儀な猛将
1552年 (62歳)
主君の上杉憲政が北条家に攻められ、長尾景虎(上杉謙信)の元へ逃れるが、北条には従わず。

1558年 (68歳)
上野国に侵攻してきた武田晴信(信玄)と瓶尻の原で戦うが惜しくも敗戦。

この前後、6回に渡り武田晴信(信玄)の攻撃を受けるが、居城の箕輪城を死守。

1561年 (71歳)
長尾景虎(上杉謙信)上杉憲政による北条攻め(小田原城攻め(上杉謙信))に従軍。

死没。
死没 1561年12月28日(永禄4年11月22日) (享年71歳)
レクイエム 「業正がいる限り上州には手を出せぬ」とまで武田信玄に言わしめたほどの猛将で、上州の黄班(虎)と呼ばれた。

主君である関東管領上杉家に最後まで臣従した、律儀な武将である。

臨終の際、息子の長野業盛に、「決して敵に降るな。戦って死ぬことが親孝行と思え」と言い残した。