龍造寺家にとって代わった実力派
鍋島直茂なべしま なおしげ
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誕生 1538年(天正7年)
生誕地 肥前国 佐賀郡
鍋島清房
龍造寺家純の娘
幼名 彦法師
元服名 鍋島左衛門大夫信生
官名 左衛門大夫、飛騨守、加賀守など
近親など 養父:千葉胤連
従兄:龍造寺隆信
子:鍋島勝茂など
ゆかりの地  肥前国 佐賀城
 筑後国 柳川城
略歴 ●鍋島家
1538年 (1歳)
龍造寺家家臣、鍋島清房の子として生まれる。

●千葉氏の養子
1541年 (4歳)
千葉胤連の養子に。

1551年 (14歳)
養父、千葉胤連に実子が生まれたため、鍋島家に戻る。

1554年 (17歳)
元服。

龍造寺隆信の部将となり、初陣。

●今山の戦
1570年 (33歳)
龍造寺隆信の村中城(佐賀城)が、大友宗麟の大軍に囲まれ危機に陥っていたところ、奇襲を提案し実行、5千の兵で6万の敵を攻め勝利。(今山の戦

大友宗麟はこれを機に北九州から撤兵。

1581年 (44歳)
筑後国柳川城主に。

●龍造寺家の執事
1584年 (47歳)
沖田畷の戦で主君、龍造寺隆信が戦死したことから佐賀城に戻る。

龍造寺家を継いだ龍造寺政家が病弱だったことから、直茂はこれを補佐しつつ実権を掌握。

1587年 (50歳)
豊臣秀吉九州攻めに対して早々と降伏、秀吉の先鋒として従軍。

この功により、肥前国に4万4千石を拝領。

●肥後国
1590年 (53歳)
秀吉の命により龍造寺政家が隠居、龍造寺氏の仕置きを任され、実質肥前国主となる。

1592年〜1597年 (55歳〜60歳)
二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)でも貢献。

1600年 (63歳)
関ヶ原の戦の際、肥前国にいて子の勝茂は西軍に与していたが、東軍の徳川家康の勝利を知ると、西軍の小早川(毛利)秀包久留米城や、立花家の柳川城を攻め落とすなど東軍へ貢献、これにより許される。

1607年 (70歳)
龍造寺家が断絶。

1613年 (76歳)
幕府の裁定により、龍造寺氏の跡目を鍋島家が継ぐことに。

1618年 (81歳)
肥前国佐賀城で死没。
死没 1618年(元和4年)6月 (享年81歳)
レクイエム 龍造寺家の柱石としてその一生を過ごし、結果龍造寺家にとって代わった実力派である。