毛利の教えを守り続けた、元就の孫
毛利輝元もうり てるもと
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誕生 1553年(天文22年)
生誕地 安芸国 吉田郡山
毛利隆元
大内氏
幼名 幸鶴丸
元服名 毛利輝元
官名 右衛門督、右馬頭、侍従、参議、権中納言など
主な近親 祖父:毛利元就
叔父:吉川元春小早川隆景など
養子:毛利秀元
子:毛利秀就など
ゆかりの地  安芸国 吉田郡山城
 安芸国 広島城
 摂津国 大坂城
 長門国 萩城
略歴 ●毛利家嫡男
1553年 (1歳)
中国で勢力を伸ばしていた吉田郡山城の毛利家当主、毛利隆元の子として生まれる。

1563年 (11歳)
父、毛利隆元の死により家督を継ぐ。祖父の毛利元就が後見。

1566年 (14歳)
月山富田城攻めで初陣。(第二次月山富田城の戦
出雲国の尼子家を降伏させ、毛利家は中国10ヶ国120万石の支配者に。

●祖父の死
1571年 (19歳)
祖父、毛利元就が死去。

●織田家との対立
1576年 (24歳)
織田信長に追われた元将軍足利義昭を保護し、鞆に御所を提供。

織田信長と対立する本願寺勢に味方、石山本願寺へ兵糧を搬送開始。

1580年頃 (28歳)
織田家の部将、羽柴(豊臣)秀吉が中国進出すると、これに対抗。

1582年 (30歳)
備中高松城の水攻め

本能寺の変が起こるが知らないまま、秀吉と和睦。和睦後織田信長の死を知るも、秀吉の大返しを追跡せず。

●秀吉への臣従
1584年 (32歳)
秀吉の臣下に入り、秀吉の天下統一事業に貢献。

1591年 (39歳)
築城中の広島城に移る。

1592年 (40歳)
嗣子がいなかったことから、従弟の毛利秀元を後嗣に。

1592年〜1597年 (40歳〜45歳)
二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)にも参加。

1595年 (43歳)
嫡子松寿丸(毛利秀就)誕生。

●五大老
1598年 (46歳)
五大老のひとりに。

1600年 (48歳)
使僧安国寺恵瓊に担ぎ出され、徳川家康に対抗。西軍の総大将として大坂城に入城。
関ヶ原の戦では参戦しないまま敗北。

領地を安堵するとの東軍の言葉を信じ、大坂城から退城。

●大減封
結局、周防国長門国29万石に減封され、長門国萩城を築城し居城とする。

その後隠居。

1625年 (73歳)
萩で死没。
死没 1625年(寛永2年)4月 (享年73歳)
レクイエム 毛利家は、実力では当時の秀吉をしのいでいたが、「天下を望むな」という家訓があり、自重することが多かった。

関ヶ原の戦後の東軍との交渉で、「大坂城を素直に明け渡せば全ての領地を安堵する」と約束したたのは家康ではなくその家臣たちであり、それを信じたばかりに結果的に大減封されてしまった。
お人好し大老の誹りは免れない。