毒殺された元就の嫡男
毛利隆元もうり たかもと
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誕生 1523年(大永3年)
生誕地 安芸国 猿掛城
毛利元就
吉川国経の娘
幼名 千代寿丸
元服名 大江隆元
官名 備中守、大膳大夫など
近親など 弟:吉川元春小早川隆景小早川元総(毛利秀包)など
正妻:内藤興盛(大内義隆家臣)の娘
子:毛利輝元など
ゆかりの地  安芸国 吉田郡山城
略歴 ●元就の嫡男
1523年 (1歳)
安芸国の大名毛利元就の嫡男として生まれる。

1525年 (3歳)
毛利家、出雲国の尼子家から離反し周防国の大内家傘下に。

1537年 (15歳)
主家である周防国大内義隆の人質となる。

元服し、大内義隆から一字をもらい大江(毛利)隆元と名乗る。

1542年 (20歳)
大内義隆月山富田城を攻めるが尼子晴久に敗れる。
月山富田城の戦(第一次)

父、毛利元就、大内傘下からの独立を画策し始める。

弟の元春が吉川家の養子に。

弟の隆景が小早川家の養子に。

●家督相続
1546年 (24歳)
父から家督を譲られる。

1550年 (28歳)
この頃までに、元春と隆景が養子先の当主になり、毛利家は安芸国一国を支配下に。
(毛利両川体制)

1551年 (29歳)
大内義隆を謀反で殺害した陶晴賢を討つべきと主張。

1555年 (33歳)
厳島の戦陶晴賢に勝利。

1557年 (35歳)
さらに陶晴賢の傀儡であった大内義長も討ち取り、周防国の大部分も支配下に。

●急死
1563年 (41歳)
尼子攻め途上、備後国の和智誠春の接待を受けた際食中毒にあい急死。
死没 1563年(永禄6年)8月 (享年41歳)
レクイエム 食中毒による死とされているが、父、元就がのちに和智誠春らを誅しているように、毒殺されたという説が有力である。

生存中は偉大な父の陰に隠れて目立つことも少なかったが、暗に毛利家発展に尽力していたことが死後にわかり、弟たちも感服したという。