夏の陣で豊臣秀頼の介錯を務めた
毛利勝永もうり かつなが
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画像  
誕生 1577年(天正5年)
生誕地 尾張国
毛利勝信(吉成)
 
幼名  
森吉政、毛利吉政、毛利勝永
官名 従五位下、豊前守
近親など 正妻:龍造寺政家の娘
子:毛利勝家、毛利太郎兵衛など
ゆかりの地  豊前国 小倉城
 摂津国 大坂城
略歴 ●秀吉の家臣
1577年 (1歳)
羽柴(豊臣)秀吉の家臣、毛利勝信の子として生まれる。

●森から毛利へ
1587年 (11歳)
父、毛利勝信が、豊前国小倉城主に。(6万石)
その際、豊前国1万石を拝領。
同時に、豊前国にも進出したことのある毛利姓を名乗るよう命じられる。

1597年 (21歳)
父とともに、朝鮮へ出兵、蔚山城の戦では援軍として活躍。(慶長の役

●関ヶ原
1600年 (24歳)
関ヶ原の戦では西軍につき、伏見城攻めなどで貢献。

戦後、改易となり加藤清正預かりに。

その後、山内一豊預かりに。

1611年 (35歳)
父が死没。

●五人衆
1614年 (38歳)
大坂冬の陣では、豊臣方として大坂城に入城、長宗我部盛親後藤又兵衛明石全登真田幸村らとともに五人衆と呼ばれる。

1615年 (39歳)
大坂夏の陣に参陣し、道明寺の戦では殿軍としで活躍、天王寺の戦でも見事な采配で活躍するが多勢には逆らえず、兵をまとめて大坂城に戻り、豊臣秀頼の介錯を務めたあと自害。
レクイエム  
死没 1615年6月4日(慶長20年5月8日) (享年39歳)